ホッコータルマエが名称も新たに模様替えしたチャンピオンズC(中京ダ1800)で、悲願の中央初GIに辿りついた。前2年の旧ジャパンCダートは3着3着。文字通り「3度目の正直」で
あった。
勝因は第一にスピードより力のダート。勝ちタイム1分51秒0は距離が1800に短縮されて7年、もっとも遅い時計であったことでもわかろう。これに展開。5F通過62秒3の緩い流れを楽に2番手。勝ち味に遅いが、馬体を併せた相手にはちょっとやそっと競り負けないタイプ。すでに4コーナーで初GⅠが見えていた。
反対に1番人気コパノリッキーの敗因は、スタートのミス、外々に振られる距離ロス、前回激走の反動など色々あるが、根本は力のいる馬場になったことが一番大きい。あくまで軽いダートのスピード馬であり、これに2つ3つの副因が重なれば12着の惨敗もやむなし。
勝ったホッコータルマエも2着のナムラビクターも、コチラの目論見通りコロッと変わってくれた。タルマエのJBCは勝ちに行っての4着。少なくても2着3着よりずっと中身の濃い4着。ビクターのみやこS(3着)も同様。早めに仕掛け、勝ちが見えたところで足元をすくわれた競馬。ほぼ勝ちに等しい内容。言うなら両馬ともに前走内容から次が見えていた馬同士。これでこの配当はあまりに美味しすぎた。
この伝にならえば3着のローマンレジェンドは、今回の内容で次が見えた有望馬。果敢に勝ちに行って、結果、ナムラビクターにも差される競馬。中身としてはビクター以上。やはり肝心かなめで久々がこたえた。これまで鉄砲で旧ジャパンCダートを射止めた馬は皆無。敏腕、藤原英厩舎だからこそ、勝ち負けまで持ち込めたようなもの。ことに厳寒期の今である。10本の稽古より1度の実戦。その差が明暗を分けた。が、叩かれた次の東京大賞典は面白い。

清水成駿
1948年東京都生まれ。明治学院大学卒業と同時に、 競馬専門紙「1馬」に入社。旧東京系のトラックマンを担当。 そこで馬を見る類まれな才能を高く評価され、 20代の若さで競馬評論家となり、35歳と異例の速さで取締役編集局長に就任。競馬の見方を180度変える斬新な推理は、旧体質の予想界に新風を吹き込み、高配当を次々に的中。予想欄に一人ポツンと打った「孤独の◎」は、ファンの熱烈な支持を集め、 今でも語り継がれている「穴の清水」の代名詞となる。