「完庶処」の決算は9月。おかげで昨年は阿部秘書も時間がとれず、恒例の飲み会はなし。親爺はもの凄く、遠野はチョッピリ寂しい思いをしたもんだが、今年は違った。
連休明けの火曜日25日に阿部→梶谷→井尻経由で連絡があった。「決算のメドもついたし、月末の土、日はゆっくり休めるので、できれば28日の金曜日に皆さんとお会いしたい。突然で恐縮ですが…」とのこと。遠野に断る理由はない。「了解」で電話を切った。
<やんぬるかな>で最初から諦めていた親爺にも“否”はない。期待していなかっただけに余計に嬉しかったようで、井尻の連絡からいくらも置かぬうちに親爺が確認の電話してきた。
「急だけど、とのさん来られるよね。腕に縒りをかけて待ってるから」。声からして弾んでいる。「行くよ。台風発生で天気が心配だが、親爺の仰る通りで“尾生の信”だからな」「ヘヘッ。それを言われると照れ臭えけど。ホント楽しみだよ。何日ぶりかなぁ」。
目を細めニヤニヤしている顔が想像できる。
「外れたはずの馬券が審議の結果、降着馬が出て当たったような気分だろ」「うん。なるほど言い得て妙だな。こうなると松茸は必需品だな」ともっそり。
<豈(あに)図らんや>とはこのこと。喜びは続く。なんと28日は9月の中で最も過ごしやすいのではないかと思うほどの好天。日が落ちるのも早くなり、遠野が築地に着いた6時過ぎには、降り月が煌々と闇を照らしていた。風も爽やかだ。
「頑鉄」に入ると、真ん中には市場の連中が6人、すでに盛り上がっている。入って左の席には「予約」の札があり、なんと指定席には3人が揃っていた。阿部秘書は例によって壁側に座っていて遠野が市場の連中に黙礼した直後に目が合った。「あっ」と漏らしたようで通路側の梶谷、井尻、加えて阿部秘書と話していた親爺が振り向いた。「お待たせ。ご無沙汰」で阿部秘書の後ろを回り、自席に腰を降ろした。
遠野の動きを見計らったように仲居がお通しを、立ち上がった親爺は「得月」とビールを運んで来、それまで飲んでいた焙じ茶の茶碗を片付けた。
「9月はやはり『得月』だな。おまさちゃんが2年前に初めて来てくれた時に飲んだ酒だし、去年は決算が終わった10月始めに2週連続で京子ちゃんが顔を出してくれ『美味しい美味しい』って…楽しかったなぁ」と言いながら、親爺がそれぞれのグラスに「得月」を注ぐ。後は阿部秘書が引き取って親爺に酌をする。満面の笑みだ。「今年も5本確保しているから存分に飲んでね」。
<良く覚えているな>と感心しながら満願寺唐辛子と茄子の焼きびたしを食べた。ピリッとした辛さと香ばしさ、秋茄子の甘みが口に広がった。「旨い!水茄子との炊き合わせもいいけど、これはこれで立派。吉野君も腕を上げたなぁ。これで親爺も安心だろ」。遠野の一言で全員が箸をつける。
「そうそう。来月には河岸も引っ越しですが、ここは続けてくれるんでしょ。若い板前さんも育ったことだし」と阿部秘書。吉野とは顔なじみの梶谷も頷いて親爺を促す。
「場外はそのままで、知り合いの仲卸も築地の新しいビルに入ったことだし…。それより何より京子ちゃんやおまさちゃんにはずっと会いたいからね。とのさんが元気で、俺の体が動いて酒を飲めるウチは続ける積もり」。親爺の言葉を聞いた美女二人は「よろしくお願いします」。珍しく神妙な口振りで頭を下げた。
「それにしても、このお酒は美味しい」と梶谷が呟き、空のグラスを遠野に差し出したところに、まずは「焼き松茸」が届いた。
「うん。香りがいい。これは日韓でも日中親善でもないな」。遠野が冷やかすと「当たり前だ!まさか京都という訳にはいかないが長野産。正直、今年は今のところ意外と安くてね」。親爺が説明している間に梶谷は「アチッ」と声を出しながらスルメみたいに松茸を裂き、自分の分にだけスダチをかけている。
「ところで京子ちゃんとこ決算はどう?今日は早じまいで良かったの?」。遠野が訊くと「おかげさまで。客単価は落ちましたがお客様の人数は増え、売り上げは微増です。皆さん財布の紐は堅いみたい。仕事の方は都ちゃん、あ、お嬢さんですが経理面を頑張ってくれてますので、少し楽になりました」と笑みを浮かべ、梶谷が裂いた松茸を指で摘まみ上げた。
「求人倍率と就業人口は増えてるけど好景気感はない、という社会現象を証明していますね」。それまで大人しくしていた井尻が納得顔で答え、ビールを飲み干す。
「じゃあ、そのミ…」親爺が閊(つか)えた。「都ちゃん」と遠野。「そう。都ちゃんが戦力なら京子ちゃんは月2までいかなくても2ヶ月に3回は来られるようになるかな」。
「もっともっと通いたいのですが、なかなか…」と目を伏せる。「来たい時に来る。来られる時に来る。それでいいじゃん。ねっ」。遠野が梶谷と阿部秘書に問いかけると二人してニッコリ。遠野に同意したのかと思ったが、見るとテーブルには土瓶蒸しが。笑顔の理由はこっちか――。いずれにせよ邪気がない。
「だけどよう。京子ちゃんには先月の終わりも来てもらっているのに、何だか随分会ってないような気がして」。親爺モゴモゴ言いながら秋刀魚と鮪の刺し身、それに締め鯖の炙りを持ってきた。梶谷はずっと観察していたのか「ほら“一刻千秋”の思いっていうけど、そんな心境ですよね?おじさん」とからかい、続けて「それより今週はGⅠだから買うんでしょ。乗ろうかな」と舌をチラリ覗かせる。
「そうだ!酔わないうちに聞いておこう。『スプリンターズS』は何がいい?」「台風接近で馬場状態がどうなるか分からん上に嫌いな短距離…。気乗りしないなぁ。だからおまさちゃんの馬券もなし」。二人の会話を聞いた梶谷は「ふ~ん」と頷き2本目の「得月」に手を伸ばした。
この一ヶ月は総裁選からスポーツ協会やらで告発流行り。芸能界のスキャンダルに貴乃花問題…。いろいろあったが「“高兄い”は局長に気をつけないといけないけど、録音なんてもう古いよ。今後は写真や動画の時代だから。ねっ阿部さん」。振られた阿部秘書は酒の入ったグラスを弄びながら「大事な人と自分、そして仕事を守るためにも“いざ”という時に必要になるわね」――。意味深だが、明日は休み。酒も、聞く時間もタップリある。
【著者プロフィール:源田威一郎】
大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。
斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。
競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。
源田威一郎
GENDA ICHIRO
大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。
斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。
競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。