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競馬コラム

心地好い居酒屋

2019年06月05日(水)更新

心地好い居酒屋:第68話

「ダービー」が終わると春競馬はほぼ終了感、遠野はもちろん「頑鉄」の親爺も「安田記念」はGⅠとはいえ、さして興味は持たないのだが、今年の親爺は違った。張り切って馬券を買った、そして舌打ちをし、最後は納得して唸った。


遠野が築地に着いたのは午後6時。新大橋通りを左に折れると縁台に2人。親爺と井尻とで煙草を味わいながら談笑していると思ったのだが、今や遅し、と待ち構えていたのは横山だった。「お、早いな。どうした?昨日(安田記念)はヤラレか?」。遠野が冷やかし気味に訊くと、横山は「あ、ハイ」で親爺は「スタートで終わっちまったよ。まさか…」。


もっと喋りたそうだったが「とにかく入ろう。横ちゃんもいることだし、明るいけど始めようぜ。飲みながら聞くよ」。遠野に言われればいやも応もない。連れだって入って行き、2人して指定席に座った。テーブルには親爺を除いた6人分がセットされている。「今日はオールキャストだな」「ええ。先月は連休明けの火曜日に自分だけご一緒させていただきましたが、先輩方は暫く遠野さんにお会いしていないものですから」「とのさんも人気者だねぇ」と煽(おだ)てる親爺の手には北海道の酒・「千歳鶴」大吟醸の一升瓶が握られている。「珍しいなぁ」。「横ちゃんの爺さんが口を利いてくれてね。最近は“知ったかさん”以外は日本酒も結構飲むし…。何といってもおまさちゃんが居るから一升はすぐ空くよ」と言い、いつもより大きめなグラスを満たした。「今、吉野がいろいろやってるから、とりあえずこれを」と、仲居から受け取った畳鰯の炙りを置いた。


「ところで、『まさか』ってのは豊ちゃん(ロジクライ)の切れ込み?」「一瞬、何が起きたのかと思ったし、特にダノンは腰を落としたように見えたからなぁ」。親爺が振り返ると横山も「あれで“終わった”と。スタートがすべてでした」。無念そうに畳鰯を裂いた。


「2人ともかなりショックのようだけど勝負したんだ。ふ~ん」。遠野は一人ごち、そして「千歳鶴」を舌で転がした。「サラッとして香りもいいじゃん。これなら一升は軽いっしょ」。


親爺はうんうんと頷きながら「ほら、『ダービー』が宣言通りでとのさんのヴェロックスと横ちゃんのダノン2頭軸にして3連複大当たりだろ。横ちゃんは馬連を取ったし、まぁ『安田記念』はダノンとアーモンドで決まりと意見一致で…」「大枚をはたいた?」「いや。上限3万は守ったよ。⑭⑮1点に。正直、慣れないことはするもんじゃないな」。ヘヘッと自嘲気味にハゲ頭を搔いた。遠野の「ダービー」はダノンチェイサーの回避で、お嬢達と同じ馬連、3連複とも4頭ボックスが本線。それとは別にヴェロックスから流して外れているだけに申し訳ない気持ちがあるのかも。


「それじゃあ、スタートと同時に舌打ちもしたくなるのも分からんでもないな。しかし川田ってのも負けん気が強いっていうか度胸というか、凄ぇ奴だとつくづく感じたね」。酒のお代わりを頼みながら遠野が言うと、横山も同じ所作をしながら頷いた。親爺、怪訝そうに酌をした。


「ダノンは直線半ばで力尽きたが、それまでピタッとアーモンドをマーク、外から被せて<外に出させるもんか>の気持ちがテレビの画面からも伝わってきたもんな。結局はそれがアーモンドの命取りになったと思うぞ。な!横ちゃん」「川田の執念ですね。『皐月賞』『NHKマイル』と連続して斜行被害に遭ってるのですから」。最初は意味が分からず戸惑った風に2人の顔を見ていた親爺がハタと膝を打った。「そうか!ノーザンへの忖度よりルメールが犯したラフプレーへの警告を優先させたってことか。なるほど、なるほど。そういう目で見れば3万の観戦料もムダじゃなかった訳だ」。親爺が納得した。「ぼつぼつ連中も来る頃だし、済んだレースの話はおしまい。おまさちゃんに叱られるからね」。そんな遠野の声が聞こえたのかどうかドアが開き梶谷、刈田、下川の順番で入ってきた。


「ご無沙汰してます」の挨拶は全員で、続けて「井尻は少し遅れますので」と刈田。「格別、会いたい訳じゃないし構わん。忙しいのは結構なこと。部長が暇じゃあ務まらんよ。ほい、座って座って」。気楽に手招きしたのだが、梶谷が目で合図を。<そうか。また甘方に誘われたのか>。そう思いはしたが互いに態度には出さない。


席に着いた梶谷は目敏い。「あれっ。このお酒初めて。おじさん頂戴頂戴!とグラスを差し出した。親爺は、梶谷から順に全員に酌をし、自分の分に注いだ時は、梶谷の“お代わり分”しか残っていなかった。もっとも、2杯目を考えているところが親爺の親爺たる所以だが…。お通し=豆苗とさつま揚げの炒めものが配られたのは、その後だ。ほどなく刺し身の盛り合わせ=鯛、赤身、縞鰺、それに「今からが旬」と親爺が自慢した城下鰈(しろしたかれい)が2皿届いた。


しばしの飲み食いの後「で、井尻はどうした?」。遠野が訊くと「記事のことで金山さんとやり合いましてね。例の一件以来、競馬には口を出し辛いものですから、ウチ(社会部)や文化・芸能にもケチをつけて」と刈田。酒は「黒霧島」に代わっている。「自分達にすれば庇ってくれる部長サマサマで拍手喝采ですが、2人の応酬が局長の耳に入って、呼び出しを食らった訳です」。焼酎仲間の下川が続けた。


「じゃあ今は3人で話し合ってる最中ってことか」と遠野。黙って刺し身を摘まんでいた梶谷が「ぼつぼつ『洗心』を下さいな」。親爺に頼み、続けて「でも、そんなに時間はかからないんじゃないですか。今日の飲み会は分かってるはずですし」「そうだけど、何せ局長直々の仲裁だからなぁ」。刈田が不安げな顔で、梶谷を見遣った時、井尻が到着した。


「遅くなりました」。息が荒い。親爺が素早く立ち上がりビールと枝豆を持ってきて酌をする。井尻は喉を鳴らし一気に飲み干すと「プハァ~。旨い!」と。この調子なら吉報だ。遠野が梶谷の足を突つく。すかさず「お疲れさまでした」。梶谷がビール瓶を持ち上げた。


部下3人は不安そうだ。「心配すんな。細かい話はともかく、金山にはガツンと言っといたから」「局長の意向は?」。代表質問は刈田だ。「あいつの立場もあり、詳しい話はできんが結論は『井尻の意見は尤もだ』だよ」と胸を張った。「ところで、こんなに早く出て大丈夫なのか?二次会に誘われたんだろ」。今度は遠野が酌をした。「ええ。一応。でも『先約がありますから』と辞退したら『気を付けてな』で解放してくれました」。達成感が窺える。全員が大喜び、宴たけなわを迎えた頃合いを見計らって遠野が横山に囁いた。


「井尻を川田に、金山をルメールに置き換えたら、甘方はノーザンってとこか。いずれにせよ井尻も自信と度胸を付けたみたいだぞ」


<井尻が川田で、金山をルメールに、甘方をノーザンに置き換えた>


源田威一郎

GENDA ICHIRO

大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。
斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。
競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。

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