「初期の対応を誤ったせいで、とんでもないことになりそうだよ。ったく」と遠野が「頑鉄」で舌打ちしたのは、アベが小、中、高校の休校要請を発表した翌週の月曜日3月2日のこと。「ザッツ」の連中も集まってからは梶谷の“アンベーさん”(信=晋のない安倍晋三)や親爺の“目のない黒川じゃ桜も汚い”の発言、さらには遠野の“奇貨居くべし”で一同納得、珍しく全員が会話に参加し、話題も考えもほぼ一致した。
そんな件(くだり)を梶谷は阿部秘書に伝えていたらしく13日の飲み会では、すんなり話に溶け込んだ。ただし、当初はややお疲れモードだった。
「心配したからどうなるってことじゃないけど『甘庶処』も対策に頭を悩ましてるんじゃないの?元気ないよ」。遠野が問うと「すみません。顔に出てます?」「いやいや、そう意味じゃなくて…。ほら親爺が客不足で泣きを入れてるから」と親爺のせいにした。「お気遣い有り難うございます」。クスッと微笑み「正直言って最悪です。調理場のマスクも残り少なく、お客様の入りはひどいし、とりあえず明日から川崎を含め5店ほど休店することにしました」。
以前から耳にしていたが、せめてもの助かりはホール担当の従業員のほとんどが学生アルバイトだったことだ。休業手当の必要はほぼなく、逆にいつもは春休みなどで学生が帰省したりで、募集をかけるか、卒業生に後輩を紹介してもらうなど人集めの苦労が少なくなったのにホッとしたらしい。今時、学生アルバイトで回しているなんて、まさに希有な状態。よほどの待遇でなければ長くは続かない。そんな事情からも社長以下上層部の人柄、雰囲気の良さが窺える。
この日のお通しは、この間、梶谷が「擦り込んだ大蒜(大蒜)がピリッとして美味しい」と喜んでいた蛸とセロリの酢の物。それに海鼠だ。「ヘヘッ。意識した訳じゃないけど酢には殺菌作用があるしな」。親爺なりに気を遣っている。
「そうそう。方針が決まった後の雑談で梶から聞いたことを有村に話したら、すっごく興味を持ちましてね。『<過(あやま)って改めざる、是れを過ちと謂(い)う>が、あの長州モンには何も分かってないから困る』と言い始めて」。阿部秘書が当時の状況を思い出しながら眉を顰(ひそ)め、親爺お薦めの海鼠を噛んだ。「わっ!柔らかいのに歯切れが良く気持ちいい」と褒め、冷酒を飲み干し、更に話を続けた。
「29日の会見も観ていて『あの男は能力や知識以前に心がない。国民に協力をお願いし、初動の遅れを詫び、そして説明しなくちゃいかんのにプロンプターに目を遣りながら官僚の作文を読むだけ。あんな男に“緊急事態宣言”の権利を持たせるようでは日本も終わりだな』と大憤慨で」。阿部秘書も会社の危機と相俟って、かなり鬱積があったようで、珍しく饒舌だ。
うんうんと頷いていた親爺が「そ、そのプロターなんちゃらてのは何?」。訊くと、すかさず梶谷が「プロンプター。原稿映写機といって、マイク側からは字が読めるようになってるの。もちろんアンベー用に大きなカナもちゃんと振ってるわよ」と答えニッコリ。「へぇ有村社長はスラスラ言えるんだ」。親爺が感心すると「だって社長は…」。途中まで言い梶谷は口を噤み関鰺の刺し身に箸を伸ばし、生姜醤油に浸けた。遠野と親爺は二人して「ん?」。「ごめんなさい。隠す積もりはなかったのですが有村は独立するまではEUにある日本の商社で食事係を担当していたんです」と阿部秘書。「なるほど。そういうことか」。ハタと膝を打ったのは遠野で「詳しいことは話せる範囲で教えて貰うとして、それなら京子ちゃんが社長と親しいのも当然だね。お父さんは商社マンだし、その頃からの付き合いなんでしょ」「はい。ずっと背景も言わないままで気分を害されました?」「そんな!滅相もない。京子ちゃんの内情を教えて貰っただけでも俺達は信用されてる証拠だし幸せもんだよ。な!親爺」「そうだよ。バレンタインの<生きてて良かった>じゃないけど嬉しいねぇ」と言うと、立ち上がり新しい「洗心」と小さな包みをを持って帰ってきて「これはとのさんと俺からのお返し。一日早いホワイトデイってことで」。
キョトンとしていた二人だが手をたたき喜んだ。「何?何?」「保冷剤が入ってるから家で食べてね」と遠野がマカロンを手渡した。70過ぎた爺い二人が若い美女二人を相手にプレゼントの交換をしてるんだから滑稽ではある。<な~に。“忘年の交”だ>。遠野が思った時、かつて「“忘年の交”で感謝してます」と言ってくれた井尻が到着した。
挨拶もそこそこに「予定通り“特措法”が可決しました」と報告し、そのまま席に着き、親爺が運んできたビールを注ぐと一気に飲み干し「明日からもコロナコロナで危機を煽り、アンベーはカッコつけるんでしょうが、桜は別にして黒川問題だけはコロナの最中でも決着をつけないといかんでしょ」。憤懣やるかたなしの態だが、阿部秘書が「どうぞ」と瓶を持ち上げると「畏れ入ります」で、多少は落ち着いたみたいだ。
「この人事だけは食い止めないとな。黒川だってヘラヘラして延長を受けるってんだから品性ゼロ。悪を糾すまともな正義感を持っている検事なら辞退が当然。悪を見て見ぬ振りをするどころか悪に蓋をするなんて時代劇の悪代官以上だろ」。遠野が怒ってると、メバルの煮付けを取り分けた皿を梶谷がそっと差し出しながら言った。
「森(大臣)の論理も完全に破綻。国会で詫びるほどですから、アンベーの『法務大臣からの請議を受け閣議決定した』との説明もこれまた破綻。即、罷免して定年延長も取り消すのが、総理大臣の役目でしょ」。井尻は肴には目もくれないでビールだけ飲んでいる。「森って大臣も一応、司法試験に受かり弁護士なんでしょ。“法律違反”は分かっていると思うんですが…」と阿部秘書。「内閣の中から人事に反対、辞表を提出する大臣が一人も居ないなんて世も末ですね」。梶谷も嘆きながら遠野に酌をした。
「あ、そうだ!」。遠野が声を出し、紙とペンを借りて<小人の過つや、必ず文(かざ)る>と声を出しながら書き阿部秘書に渡した。「有村社長とは4月にはお会い出来ると楽しみにしていたのに、それも、こんな状況でままならないし、社長の<過って改めざる…>を受けての俺の思いだ、と伝えてちょうだい」。料理を運び、酌などに専念していた親爺が呟いた。「<過っては則(すなわ)改むるに憚る勿(なか)れ>だな」。「そうであって欲しいよ」とは全員の返答である。
源田威一郎
GENDA ICHIRO
大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。
斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。
競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。