30日、月曜日の昼前に遠野の携帯が鳴った。「とのさんさぁ。申し訳ないけど今日、明日と店を休んで様子を見ようと思って」。「頑鉄」の親爺からだ。「仕方ないな。それより親爺の体調は大丈夫?」「ありがとね。そんな訳で今日は、河岸にも行かなかったし休養十分。元気だけはあるよ。志村けんも亡くなるし、とのさんこそ気を付けてよ」。親爺の励ましには心が籠っている。
「実は、今後どうなるか分からんし、いつものクリニックに処方箋を貰いに東京に行く積もりだから、親爺さえよければ、どこかで合流しないか」「それは望むところだが、どうせなら、やはりウチに来ない?。あるもんでよければ肴は適当に見繕って作っておくからさ」。急に弾んだ声に変わった。「悪いな。折角の休みを」「いやいや。『洗心』なんて置いてるところは少ないし、第一、有っても高ぇし」「確かに-。いつだったか、横浜の寿司屋で見たら『万寿』が一合2000円以上だったもんな」。遠野が応じると「そうだ!さっき横ちゃんの電話には『休み』と断っておいたが、とのさんが来るんなら伝えとくよ。昨日(高松宮記念)の裁決の話をしたいみたいだよ。いいだろ?」「ああ。じゃあ後で」で電話を切った。
予(あらかじ)めクリニックには連絡していたから待つ間もなく処方箋を受け取れた。保険証を見せ、金を払っただけだ。おかげで予定より早い4時過ぎに着き、事情を話すとさすがの親爺もビックリ。「さすがとのさん。顔がきくねぇ」と。「<医者と米屋は大事にしとけ>が死んだ親爺の教えでね」とニヤリ。「医者嫌い、じゃなくて医者不信のとのさんが、わざわざ都内まで通うんだから、お互いの信頼があるってことか」。“病院は待たされるもの”と承知している親爺が納得する。
カウンターに座り焙じ茶を啜りながら板場の親爺を見ていると無駄なく体を動かし何やら調理をしている。「ぼつぼつ出来るから、これを持って席に行ってて」と言い、「洗心」のボトルとグラス、それにピーマンとジャガイモの炒めものを遠野に手渡した。座るやいなや牛肉のしぐれ煮と松前漬け、鰆(さわら)の粕漬け焼きを持ってやってきた。
早速“差しつ差されつ”でグラスを上げ「お疲れさん」と。「それにしてもひでぇもんよ。この間も話したけど<奇貨居くべし>で、国民の奇禍を奇貨としてやりたい放題、言いたい放題。アベってのはロクなもんじゃねぇな。ここまでひでぇとは思わなかったよ」。憤慨しながら酒を呷り、続けて「ニュースで見たけど共産党の小池から『総理に人としての心が少しでもあるのであれば、この命がけの訴え(自殺した近畿財務局の赤木氏の手記と遺書)に応えて再調査するということを言うべきでは』と質問され、その答弁が『財務省において徹底的な調査がなされ、また検察に…』」。止まる所を知らない勢いに遠野は思わず「皆まで言うな。分かってる」と口を挟み「これは孟子だが<羞恥の心なきは人に非ず>といって厚顔無恥、恥を知らない人間はどんな悪事でもするってことだよ」
「しかし、まさかアベもあんな手記や遺書が出てくるとは思わなかったんだろうな。でもって貝になった財務省の人間は不起訴で出世し、論功行賞でコロナのドサクサに紛れて黒川って検事の定年延長を決めたってことか」。客は不在。長い付き合いの二人っきりだけに親爺の舌も滑らかだ。たまには酒を喰らっての与太話も悪くない。
遠野は鰆の粕漬けを口に入れ「旨い。これなら『魚久』にも負けないぞ。今度、おまさちゃんと京子ちゃんに食べて貰ったら」「そうしたいけど…。どうなることやら。『甘庶処』だって厳しいだろ。こんな非常時に国や自治体の政策や発表を信頼できないなんてのは不幸だし、寂しいよな」。美女二人の名前を出しても親爺の心は晴れない。「まぁ~な。でも選んだのは国民だから」。遠野が宥め役に回った。
「森友の問題でアベが問い詰められた時、早口で『私や妻が関係していたとすれば、これはもう、え~、まさにこれはもう…』と狼狽えていたが、これこそ、まさにとのさんの言った<小人の過つや 必ず文(かざ)る>だな」「フフッ。『募りはしたが募集はしてない』なんてほざいていたし、アベと女房は『森友とは関わりはしたが関係はしてない』のかもな」。遠野が言うと「そういやぁ。『週間ポスト』の花見記事でも『(妻が行ったのは)レストランの敷地であって自粛を要請された場所での花見じゃない』なんて言い訳もしてたし」と親爺。
「コロナの終息は喫緊の課題だし、『こんな時に黒川や森友、それに桜を見る会を追求するなんて』という、ためにする声もあるが、それこそ本末転倒で官邸の思う壺。まずアベが国民が納得出来る説明をし、結果を出さないと。でなけりゃ政府の施策にも国民は半信半疑で行き渡らないと思うぞ」
「<虎は死して皮を残す>というが、<志村けんは死して名を残す>だな。国や知事の自粛願いより志村けんの死の方が感染防止を啓蒙し、国と国民を救ったのかもな」。親爺がシンミリと言い、取り分けたピーマンとジャガイモの炒めものに箸を付けた。
「為政者を信頼できないってのは不幸なことだが、そいつらを選んだのも国民。俺と親爺の考えの方が間違っているのか…。懐疑的にもなるよ」。チッと舌打ちしながら新しい酒に口をつけた。
そんな沈んだ雰囲気を吹き飛ばしてくれたのが横山だ。店に入ってくると「今日は有り難うございます」と言いながら小座敷に上がると、遠野の前ではなく、壁側に腰を下ろした。間隔を空けている。気遣いが心憎い。親爺は横山に酒を注ぐと、鰆を焼きにいくのか立ち上がり板場に向かった。
「どうした!昨日は?」「馬券には関係なく、やはりクリノガウディの降着はスッキリしませんね。確かに内への急斜行で狭くなったことは間違いないんですが…」。首を捻りながら「頂きます」と言い酒を飲む。「俺も見ていて“審議”の瞬間<降着やむなし>と思ったが、その言い草が気に入らん。『不利がなければ先着したと認めた』なんて。昔みたいに『走行を妨害したため』で十分。脚色や勢いなんて正確な判断なんてできゃあしないのに、おためごかしの理由をつけやがって…」「去年の『皐月賞』ではヴェロックスの先着は認めませんでしたからね」。横山の反応は早い。「結局、そこには恣意的なものが含まれる可能性があり、そこから不信感が生まれる訳でな。10年前の『ジャパンC』でのブエナビスタの降着がキッカケで“脚色認定”が採用されるようになったらしいが…。もっとも、国の発表や政策よりJRAの方が信頼できるのは救いだけどな」と言って酒を飲み干した。途中経過は知らない横山はキョトンとしながらも「無観客でも競馬が開催できるだけ幸せと思わなくっちゃ」
源田威一郎
GENDA ICHIRO
大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。
斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。
競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。