「頑鉄」は6月から予約での営業を始めたとか。「知ったかさんから予約を貰ったし、体調が許すならとのさんもどう?残念ながらおまさちゃんは欠席だけどね」。親爺からの誘いを断る理由はない。久々の外出と暑さに混雑もあって東海道線で東京。それからタクシーで築地へ。おかげで4時過ぎには「頑鉄」に着いた。例によって親爺は縁台で煙草を吹かしている。脇に有るのは麦茶のようだ。
気がついた親爺が「随分早いねぇ」と驚きながらもニッコリ笑い、煙草を消し、グラスの麦茶を飲み干し立ち上がった。玄関は微かに隙間を残し、中に入ると、クーラ-を効かせ、左奥の壁側の窓が開けられている。換気に気遣ってるのは間違いない。玄関脇には木札がぶら下がっていた。
「今月よりお客様は前日までの予約のみと致します。諸般の事情をご勘案いただき、ご容赦下さい」
素速く読み取っていた遠野が「どうだった先週は?」「『ノーザン』ばかりで、つまんねぇし戸崎のダノンキングリーから買ったよ」「ちゃうちゃう。商売だよ」「そっちか。まぁ予約制は正解かな。どうせ客は少ないし、予約があれば、それに応じて仕入れも仕込みもできるだろ。先週はゲーム屋さんが2日来てくれ、今日の予約をして帰ったし、この調子なら吉野の給料ぐらいは出るんじゃないか」。一息ついたって表情だ。
「始める?」「いや、もう横ちゃんが来るだろ。俺も麦茶を貰うよ」で、麦茶を一口飲んだ時、ドアが開き横山が入ってきた。「お、きたか。じゃあ席に行くわ」と。横山は席の前で待っていて、「どうぞ」と手を奥に向けた。「久し振り」と応え指定席に座ると、続いた横山は「失礼します」と頭を下げ間を空けて横に座った。
「昨日はダメだったみたいだね」。遠野が確認すると「いやぁ」と頭を搔きながら「以前、遠野さんが仰ってたドイツチームのような“パシュート競馬”を思い出しました」と苦笑い。そこへ親爺が「洗心」とグラス。枝豆に漬け物を運んできて、上がり框に座り込み「久し振り」と言って二人に酌をし、自らのグラスをも満たした。「『オークス』の週以来ですから中2週ってことになりますね」。横山の言葉に「アーモンドアイの『安田記念』と一緒か」と親爺。続けて「いくら楽しみで買ってるとはいえ、あんな競馬で損をすると、やはりアッタマ来るよ」「まぁまぁ。馬券は自己責任だから仕方ないさ。アッタマ来そうなレースは買わないのが賢明。同じギャンブルでも本当にアッタマ来るのは新聞記者と黒川(検事長)達の麻雀と、その処分だな」。遠野は酒を飲み、枝豆を摘まんだ。眉間に皺でもよっていたのか「とのさん随分、険しい顔してるぞ」。親爺がからかう。
「腹も立つさ。だいたい“テンピン”が免罪符で軽い処分になっているが、それも本人達の言い分を鵜呑みしたのか、上の方が勝手に決めつけたのかどうか知らんが、一晩打って数千円から2万円までの遣り取りなんて有り得ん。場ウマがあり、裏ドラ、一発、赤ウーピン…懸賞が付くのは当たり前。例え“テンピン”だとしても、その程度の金で済むはずがない」。遠野自身も麻雀大好き人間だけに珍しくムキになっている。
「自分らも“テンピン”で額はともかく懸賞付きですからね」。横山が続いた時に「親爺さん!刺し身お願いします」と板場から吉野の声が。「おう」と親爺が立ち上がり、皿を受け取って戻ってきた。
遠野は鮪に山葵を乗っけたあと、醤油につけ口に入れた。いつもなら旨いもんを食えば気分も話題も変わるのだが、この日は違った。「昔、“自民党ルール”ってのがあってな」と言い、酒を含んだ。二人して怪訝そうな顔で遠野を見詰め、先を促す。
遠野は酒を飲み込んだ後「東も南場もトップもドンベも関係なし。とにかく上がった時点での精算、つまり親満なら1万2000円、立直平和(リーピン)は2900円だが、これは繰り上げて3000円。この遣り取りを一局ごとにやるってこと。バブルの頃のことだけどな。そんな風潮があった永田町を知ってる連中が『霞ヶ関は“テンピン”で、上限は2万円です』は通用せんよ。もっとも、昔“自民党ルール”で打つ新聞記者はその十分の一で遊んでいた奴の方が多かったらしいけど」
「へ~。すごいなぁ」。横山が首を傾げながら水茄子の漬け物を頬張る。「一局ごとの精算なら、いつ、どんな用事や事件があっても即飛び出せるだろ。最初は生活の知恵でもあったのさ」と言い、続けて「そういやぁ昔の牧場と馬主に調教師達のサンマー(3人麻雀)は見てても緊張感に胸を締め付けられ迫力があったなぁ」。遠野はそう言って遠くを見遣った。「懐かしそうだな。何だか、その表情を見てると、とのさんもその仲間の一人だったみたい。うん。当たりだろ」と親爺。すると横山が「邦ちゃん先生(武邦彦調教師)もご一緒に?」と遠慮気味に遠野の顔を窺う。「さぁ~てな。古い話だし、メンバーもレートも忘れちゃったよ。ケムに巻きながらカレイを摘まみ、酒を飲み「ふぅ~。旨い」。古き良き時代に思いを馳せて、やっと落ち着いたようだ。
一瞬の静寂を破ったのは井尻だ「ご無沙汰続きで申し訳ありません」と頭を下げながらやってきた。「ま、上がれよ」の声かけに「お邪魔します」と言い横山と遠野の間の前に座った。「今んところ客はここだけだし、アテにできん<三密>なんてあまり気にしないで」。そう言い置いて摘まみと刺し身、それに新しい料理を取りに行った。
「さっき、昔を懐かしんでいたが、井尻と会うのも懐かしいなぁ。どのくらいだ?」「梶谷が『信のない安倍晋三は“アベゾー”で十分』と宣った日ですから、確か…」。井尻が考えていると「あ、それ無観客競馬が始まった次の日ですから3月2日です」。横山が得意げに答えた。「となると約100日ってことか…。ふ~ん。籠っていても月日は経つもんだなあ。いろんなこともあったし」と言いアスパラガスのベーコン巻きを噛みきった。
「あり過ぎですよ。コロナに黒川。ズブズブの電通と竹中平蔵が関わるパソナ。コロナを利用した公金の弄びは、あまりにも浅ましく卑しいでしょ。ウチも政治と社会部で追求してますが、知れば知るほど底なしで」。「底だけじゃなく壁も高いわな」と親爺。
「<濡れぬ先こそ 露をも厭え>というが、アベ官邸とその仲間はすでにずぶ濡れ。こんな状態では雨も水も関係なし。黒川が賭けマージャンに麻痺してたように、連中は悪も公金の扱いも卑劣な人事もすべて麻痺。悪を悪と思っていないんだからしょうがない。こいつらに命と財産を預けている国民は本当に不幸だと思うよ」
源田威一郎
GENDA ICHIRO
大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。
斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。
競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。