「それにしてもひでぇ事になったなぁ」。親爺が溜め息交じりに呟いた。「ここまで来ると、もう笑うしかないな」。遠野が応え、二人してグラスの酒を呷り、枝豆を摘まんだ。
今さら順を追って話しても仕方ないのだが、ここ数日は1000人超え続出で、あれよあれよという間に新型ウイルスの感染者の総数は4万人。“アベゾー”は出てこないし、この先いったいどうなることやら…。
「やはり『完庶処』の社長は先見の明がある。6月の時点で10店舗も整理したんだろ。コロナ騒ぎが始まるまでは大繁盛、証券会社や銀行から上場の誘いもあったらしいのに」と親爺。「上場は関係ないよ。全くその気はなかったんだから。それより何より残りの店や従業員の方が心配。京子ちゃんも頭を悩ましているんだろうなぁ」「俺ととのさんとで店に行く手もあるけど、なんの慰めにも助けにもならんし」「そうだな。一度メールだけはしたんだが、返信の趣旨は『ご心配おかけして申し訳ありません』だ。ま、下手に声をかけるのはかえって負担になるだろうし、こういう時は先方からの連絡を待つのが正解かもな。彼女なら爺(じじい)の気持ちは十分分かってるさ」。遠野が言うと「あんなに育ちが良く若くて可愛い素直な子が経営の苦労をするなんて…。政治がもう少しまともなら、あの子だけでなく国民全体がかなり救われ安心もできたと思うんだが」。いつもは前向きで陽気な親爺が珍しくシンミリ語った。
「あの店は阿部家と有村家の信頼関係があっての産物。後悔するような人達ではなさそうだし、ちゃんとやっていくよ。真面目に智恵を出し、他人に迷惑もかけず一生懸命働いている人間はいつか報われるさ。いや、あの人達にとっての報酬は贅沢したり、お金儲けだけが目的じゃないみたいだけど」
「今、ふっと思い出したんだが、昔、清水さんが『以徳報徳』って言葉を教えてくれてね。京子ちゃんを見、有村社長の人柄を聞くと、そんな精神で生きてるような気がして。そうだ!」。親爺、膝を叩くと「オイラがここで、あれこれ心配しても始まらん」。親爺が吹っ切れたように言って立ち上がり、吉野が用意した刺し身を持ってきた。鰈と太刀魚、それに定番の鮪の赤身が三切れづつ盛ってある。
遠野はお通しの酢の物(キュウリ・シラス・ワカメ)の残りを食し終えると、まずは鰈に箸を付けた。「ほどよく脂も乗ってて旨い!吉野君?」「ああ。最近は予約客と人数を伝えるだけで、チャンと買い出しもしてくれてるよ」「ここは、いずれにせよ10時には終わるし親爺も一安心だな」。遠野が冷やかした。
梅雨明けの月曜日3日は溶けるような暑さだったが、処方箋を貰いに都内の病院へ。そのまま「頑鉄」に向かったので、5時前には二人で飲み始めた訳だ。
「この間、とのさんも言ってたけど、これはもう若い奴を感染させ、そこから親や祖父母に移させても“家の問題”で片付ける、つまり死のうが生きようが自己責任だよ、って。この1ヶ月足らずで政府の意向がよ~く分かったよ」。親爺、うんうんと頷きながらグラスに手を延ばした。
「愚策とコロナ大感染のおかげで、テレビも新聞もコロナばっか。いつの間にか『放っときゃ抗体ができて収まる』なんてほざく国寄りの報道も出てきたし、官邸にすればニンマリだろ」と遠野が言い、鮪に山葵を載っけた。
「そういやぁコロナ報道のおかげで案里!案里!案里!の逮捕に加え森友事件で自死した役人の手記と奥さんの訴えもここんとこ報道されていないし、アベゾーにとって、コロナ一色は救いの神か。北朝鮮のミサイルも味方につけたし、“国難”を利用するアベゾーと、その周辺は非国民そのものだな。『人を止めると経済が回らない』なんて能書き垂れて“Go To トラベル”を続行させているが、このままだと感染者と利権屋の淀んだ金が増えるだけだろ」。興奮気味に言い、酒を飲み干すと「経済とは『経世済民』。庶民を済(すくう)意味だろ。民は助かってねぇぞ」。怒った後「ヘヘっ」と笑い「昔、馬券の話題になった時、冗談で清水さんが言ったんだけどね」と。
<そういう時期もあったなぁ>と振り返りつつ「その馬券だけど、昨日(クイーンS)はどうした?」「聞いてくれよ。横ちゃんが『アイビスサマーダッシュはわざわざ菱田が札幌から日曜だけ新潟に行ってジョーカナチャンが勝ったし、今度は新潟から札幌に飛んだ福永のビーチサンバでしょ』って教えてくれたんだけど」「レッドアネモスがなかった?」。遠野が先回りした。「そうなんだ。分かった?」「だって、先に『聞いてくれよ』なんて前振りされればよほど悔しい思いをしたんだ、との察しはつくさ」。ニヤッとして一片の氷を残っていた酒に入れた。
「時々、清水さんは焼酎のロックも飲んでいたっけなぁ。で、明日は祥月命日。とのさん行くの?」「うん。あの坂は今の俺には無理だからお寺はご容赦いただき、自宅の仏前に線香をあげさせてもらおうと。でも、ありがとな。覚えてくれていて」。遠野が頭を下げると「よしてくれよ。俺は行けないけど一緒にお参りしといて。清水さんのおかげで競馬はもちろん知識や常識も身についたしな。競馬だって、俺の受け売りの蘊蓄に横ちゃんが感心することもあるんだから」
“噂をすれば何とやら”で、親爺が照れ笑いした時に横山が到着。「暑い中、お疲れさまです。ご連絡いただき有り難うございます」と。僅かの間に社会人らしく、そして律儀に挨拶できるようになったもんだ。感心しつつ、席を勧め「久し振り。先週は残念だったね。でも着眼はさすがだね」と言い座ったところで冷酒を注いだ。「ところで札幌には帰るの」。訊くと、「頂きます」で一口飲んだ後「祖父や両親に感染させても悪い…あ、いえいえ遠野さんや親方ならなんて」と慌てて手を振る。「ハハッ。気にすんな」「すみません。祖父も『一緒に競馬に行けないんじゃ邦彦が帰っても楽しみは半減』と。万が一移そうものなら家族が非難されるのは目に見えてますから止めます」「そうかぁ。ま、競馬関係者の努力は凄いな。厩舎関係者からも感染者は出てないみたいだし、グリーンチャンネルを無料にしたおかげで“買って観戦”が増えたんだろ。場外売りがなくても売り上げが落ちないとは…」
「市場の仲間も“見られるんなら”ってことで午前中のレースから買い、当たれば次も買うから売り上げは伸びるはずだよ」「でも、カード買いだけは気を付けんとな。親爺は大丈夫だけど」
源田威一郎
GENDA ICHIRO
大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。
斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。
競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。