「処暑」の23日は、雨のせいもあって、その名の通りで暑さも収まり凌ぎやすい一日だったが、翌24日は“台風一過”のようなピカ天。外出は控える積もりだったのだが、昼過ぎ、親爺からの電話で気が変わった。
「横ちゃんの実家から<いつもお世話になってます。諸先輩方とご愛飲いただければ幸甚です>の添文とともに『男山』の大吟醸が送られて来てな。直後に横ちゃんから『すみません。祖父が勝手なことをしたみたいですが、感謝の気持ちですからホント』と。いずれにせよ今日は顔を出すそうだが、体調がよければ来てくんない?あ、無理はしないでね」
ここまで丁寧に、そして感謝されているのなら断る理由はない。「結構、結構。その口振りじゃ二人とも『札幌記念』は取ったみたいだな。チョッピリ日差しが弱くなってから出掛けるから、いつもよりは遅れるかな。横ちゃんには先にやっとくように言っといて」
遠野が「頑鉄」に到着したのは6時前。もっと遅くなると思っていたのか親爺と横山は二人して縁台に座り紫煙をくゆらせていた。遠野の姿を見た途端、慌てて火を消そうとしたが「そのまま、そのまま」と手で制し「な~んだ。横ちゃんも喫うのか。これは頼もしい」。遠野がニッコリすると「はい…いえ…。遠野さんの前ですみません」。おどおどしながら頭を下げる。
「誰だ!余分なことを吹き込んだのは!親爺か!」「ちゃうちゃう。“知ったかさん”に決まってるだろ。でも怒りなさんなよ。アベゾー総理じゃあるまいし、とのさんの体(肺気腫)を心配してのことだから」「怒りはしないさ。正直言って、周りに気を遣わせるのがいやだからシッなんだ」と言って人差し指を口に立てた。
「企画を練ったり、構成を考えたり…何より競馬検討においては煙草は必需品。俺に気を遣わないでバンバン喫って。そしていい予想と当たり馬券を決めてよ。昨日(札幌記念)はバッチリだったんだろ」。これで空気が和んだ。「始めるか」。親爺の一言で横山が頭をかきかき後に続いた。
遠野が奥に、隣に横山が腰を下ろした。仲居のきいちゃんが水雲(もずく)とだだ茶豆をそれぞれの器に入れて運んで来た。親爺は酒の準備に余念がない。「早くしなよ。とりあえず、グラスと酒だけ持ってきて」。遠野が急かすと「うん、いい塩梅に冷えてる」と一人ゴチながら2本の『男山』を持ってきた。
3人のグラスが満たされたところで、まずは乾杯の真似事から始まり遠野と親爺は一口嘗めるようにのみ、続けて一気に飲み干した。思わず顔を見合わせニヤリで「旨い!」と。サラッとしてるのだが喉越しはピリッとして、後から口の中に甘さと爽やかさが広がる。
四合瓶を手にとってみると 「純米大吟醸」 兵庫山田錦 精米率38%とある。「なるほどスッキリして飲みやすいわけだ。今日はおまさちゃんはこないんだろ。珍しいし勿体ないから1本でいいぞ」。遠野が言うと「ヘヘッ。豪気なもんで6本ど~んとね」と親爺。「そうかぁ。じゃあ遠慮なく空けよう。<祖父思う心にまさる祖父心>って奴か。君は根っからの爺ちゃん子なんだ」「ええ。何故か昔から祖父とは親しかったですね。可愛がってもらいました。やはり、親爺が酒も煙草もやらない真面目なサラリーマンだったからですかねぇ。両親の反対を押し切って中学生の僕を競馬場に連れていった程で…」「で、煙草も」「いえ、さすがにそれは。高校の時、持っていたのがバレて、怒鳴りつけられました。『煙草は大学に受かってからだ!』と」「20歳になってから、と言わないところが偉い!横ちゃんの爺さんのことが少し分かってきたよ。ま、それはともかく『札幌記念』は爺さんに親爺、そして横ちゃんとキッチリ仕留めたんだろ」
「当たり前だ」と胸を叩いたのは親爺で「横典とデムーロが日曜だけの札幌出張だろ。この2頭が軸になるのは間違いないが、“清水理論”で4年前のモーリスが断然人気で②着。あの時も3連単を取らせてもらったし、そのモーリスとラッキーライラックが重なってな。思い切って馬連は横典ノームコア流しの5点、3連単は①着固定、相手に②③⑥⑨⑩を選んでの20点。すべて400円ずつだから10000円投資で戻りが約5万5000円」。読みが当たり、馬券も当たったということで上機嫌。親爺、舌の滑りがいい。
うんうん、と頷いていた横山が「どうぞ」と瓶を持ち上げ遠野と親爺に酌をする。「良かった良かった」と真から喜んだ遠野が「でもなぁ。『札幌記念』といえば、横ちゃんは秋刀魚だけど、俺は高校野球の決勝戦のイメージが強くて…」。遠くを見るような目つきになった。と、親爺と横山は怪訝そうな顔をする。
「親爺が儲かった2016年の『札幌記念』は北海高校が決勝戦に出ていて、その日は道路も競馬場もガラガラ。俺の札幌行きもこの年で止ったけど、あのマー君(田中将大)と斉藤の引き分けた決勝戦も『札幌記念』の日。灼熱、札幌記念、高校野球がセットになっているだけに、今年はなんとなく熱くはなかったなぁ。もっとも親爺みたいに3連単を取ってれば別かもしれんが」と苦笑いし、帆立のバター焼きに箸を付けた。口に入れたら、こちらはアッッチッチだ。
「あ、そうそう。今回は帰らないで正解でした。札幌の知り合いがコロナに感染して。もしかしたら会っていたかも知れないし、そうなれば“東京人”が持ってきたと言われかねないし、家族も冷たい目で見られますからね」「その点でも爺さんは偉い!『一緒に札幌記念に行けないなら帰らんでいいぞ』だからな」。遠野はまたまた爺さんを褒める。「確かに田舎で“コロナ”なんて口が裂けても言えんわな。嫌な世の中になったぜ」。親爺ブツクサ言いながら立ち上がり刺し身を取りに行った。
「船橋の騎手が感染して24、25日の川崎競馬が中止になりましたが、中央に拡大しなければいいのですが”コロナ“どうなるんですかねぇ」「分からん。go toトラベルは続行中。国というか行政は東京が95人ということで楽観的な判断でピークは過ぎたとか宣っているが、盆休みで飲食店も休んでいたし、たまたまだろ。明日(25日)以降にはまた感染者は増えると思うぞ」と遠野が言い、自ら新しい「男山」の封を切った。
「大阪で重症者が増えたってのはやっぱりあれかねぇ。ほれ『大阪維ソ新の会』の吉村って知事が『ポピドンヨードを含む嗽薬がウィルスを減少させる』なんて会見で喋ったから大阪人は“ヤバイ”と感じたらイソジンで嗽、いよいよ悪くなって病院に行くからじゃねぇの」。鰈と赤身の刺し身を置きながら解説してくれた。
源田威一郎
GENDA ICHIRO
大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。
斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。
競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。