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競馬コラム

心地好い居酒屋

2021年01月20日(水)更新

心地好い居酒屋:第99話

「生きてたか?」「だから電話に出たんだろ。何とか年を越したよ。それよりとのさんこそ大丈夫だった?」「まぁ人のことを案ずるほどだから無事ってことよ」


正月明けの4日に遠野と親爺が最初に交わした言葉だ。遠野の場合、肺気腫とはいえ、まだ、ばんたび酸素吸入の状態じゃないし、カミさんも居る。体調が悪化すれば、それなりに対応できるが、暮れから正月にかけて親爺は一人暮らし。万が一……。も懸念された。


ちなみに板場の吉野は実家が千葉。コロナに関しては東京とさして変わりはなく、後ろ髪を引かれる思いで、久し振りに帰省したとか。親爺はカミさんを早くに亡くし、娘は学生時代にオーストラリアに英語留学。その時、知り合ったオーストラリア人と結婚し、子供(孫)も二人居て、まして日本は真冬でのコロナ禍だ。一人暮らしの親爺を心配しつつも、帰るに帰れないのが実情だろう。


「ところで『金杯』は買うの?」「いや、河岸は明日からだし、横ちゃんに来て貰っても出すもんがないからなぁ。それに明日は例のゲーム屋さんが『新年会お願いします』と言ってきて。その準備もあり競馬どころじゃないよ」


「へぇ~。そりゃあ“春から縁起がいいやぁ~”と啖呵をきりたいところだが…」「そうなんだ。『当分テレワークになりそうですし、大勢の会合もできないでしょ。テーブルを分けて貸し切りってことでどうでしょう?』とな」「緊急事態宣言を見越して“最後の晩餐”ってことか。連中も親爺ん所なら食っても飲んでも安心と踏んだようだな。絶大の信頼で良かったじゃん」と遠野。


振り返れば、昨年6月から「頑鉄」は自主規制。基本、前日までの予約以外は受けてこなかった。おかげでガースー肝いりの“Go Toイート”客はゼロ。恐らく「頑鉄」が仲介しての感染者はゼロだろう。


「吉野も戻ってきたし、そんなこんなで今日は馬券検討はなし。清水さんの遺影を前にして二人で献杯するよ」。親爺、ちゃんと清水の月命日を覚えている。頭が下がる。「有り難な。でも清水さんは“屠蘇”はいらんぞ」「分かってる。『菊姫』を用意してるから」「うん。じゃあ処方箋を貰いに行く日が決まったら、また連絡するよ」で新年の挨拶は終わった。


そして病院経由で「頑鉄」に出向いたのは18日のこと。5時前というのに、まだ明るさが残っていて、親爺は縁台で煙草を吹かしている。「寒くない?」。遠野が訊くと「少しだけ…。でもよぉ。こうして日が延び、徐々に明るい時間も増えていくのに、世の中お先真っ暗。アベゾーも酷かったけど、上には上がいるもんで、俺が知る限りではガースーなんて最悪の宰相だな。<疎にして野だが卑でもある>。野卑た空っぽが権力を持つとロクなことがねぇ」。城山三郎の小説を捩(もじ)ったようだが、どうやら“そ”は粗ではなく空疎の疎のようだ。“トラベル”に“イート”で庶民を煽り、結局は税金を使って感染を広めただけ。それでいて国民に詫びず、恬として恥じないのだから怒るのも無理はない。


「<ガースーの腹黒・無能に耐えかねて もともとパーのアベゾー懐かし>か。まさか晩年になって、こんな思いをさせられるなんてなぁ」と遠野が応じながら店に入って行った。席に着くと吉野がお通しと一緒にやってきて丁寧な挨拶を。遠野は「はい、おめでとう。今年もよろしく」と返し、ポチ袋を取りだし手渡した。


親爺は「いつも悪いね」。頭を下げ「おっつけ横ちゃんも来ると思うけど熱燗でいいな」と。その熱燗が届くと同時に横山がやってきた。一通りの挨拶が終わり、遠野が最初の一杯を飲み干した途端「あのぉ。ご存じでしょうが美浦の木村調教師の殴打事件はどう感じられました」。横山がおずおずと切り出した。


「状況が分からんから何とも言えんが、木村ってのは勝己氏(ノーザン)ベッタリというか這いつくばってでも『馬を預からせて下さい』と頼み込むタイプらしいじゃん。おかげで成績も上がって表彰もされたし、チョッピリ天狗になったんじゃないの。もっとも、俺が聞いた限りでは大塚って坊やも今でいう“現代っ子”らしいし、結果には原因があるからなぁ」と応え人参、鹿尾菜(ひじき)に油揚げと大豆の煮物を口に入れた。旨い。


「ただなぁ。面白いと言ったら不謹慎だが、政治や経済も一緒で世の中変わったなぁと。大塚は三石(現・新ひだか町)にあった大塚牧場の牧夫さんの曾孫(ひまご)だってな。それがノーザンにひたすら懇願する木村には苛められるってんだからビックリだよ」。遠野は自分でうんうんと頷きながら酒を飲む。横山も猪口を近づけるが怪訝そうに遠野を見詰める。


「あのね。大塚牧場といえばメイヂヒカリ…あ、知ってるだろ」「ええ。初代・有間記念馬ですよね」「そう。その生産牧場で当時は名門中の名門。おまけ話をすればメイヂヒカリの馬主は明治座の社長を務めた新田新作さん。で、新田さんの秘書というか馬係だったのが慶応大学を出たばかりの大川慶次郎さん。新田さんのおかげで競馬好きの河野一郎(河野太郎の祖父)の知己を得て、それが縁で短波放送(今のラジオ日経)の競馬解説と馬券予想を任されることになり、結果パーフェクト予想を達成。“競馬の神様”と呼ばれるようになったんだ」。大川さんを懐かしむように喋り、運ばれてきた鮪のヅケに箸を伸ばした。


「つまり大塚牧場がなければ競馬の神様は存在しなかった―。<風が吹けば桶屋が儲かる>って寸法だな」。親爺がチャチャをを入れる。


「その後もアカネテンリュウやヒシミラクルも輩出してるし、ま、騎手の海渡は知らんだろうが、親爺、つまり牧夫さんの孫の哲郎さんは大塚牧場の何たるかを知ってるだけにノーザンにはペコペコ、可愛い倅には暴言、暴行の木村が許せなかったんじゃないか」


一言一句も聞き漏らすまいと黙って耳を欹てていた横山が続けた。「木村調教師は以前、勢司厩舎の調教助手をしていて、大塚さんの後輩でもありますからねぇ」と。「いずれにせよ、俺の言ったことはすべて推論だからな。歴史は知らんより知ってた方がいいだろうし」で話を打ち切ろうとした。と親爺が経らしきものをを唱えた。


「<祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず……>なんてな」


「平家物語の序文かぁ。もう少し続けてよ」。遠野がリクエストするとエヘッと笑い「ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂に滅びぬ。偏(ひとえ)に風の前の塵におなじ。遠く異朝を…」「分かった。もういい。やっぱ凄い。旧帝大出身だな親爺は。これじゃあ『学術会議』の会員にはなれねえな」。年を跨いでガースーが落ちになってしまった。

源田威一郎

GENDA ICHIRO

大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。
斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。
競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。

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