緊急事態宣言が解除されてから2週目の月曜日3月29日はポカポカ陽気に恵まれた。暖かくなると、やはり外が恋しい。況(ま)してや桜は満開。「頑鉄」通いも昨秋からは月イチの処方箋のために都内のクリニックに行き、その帰りに立ち寄るのが定番だったが、さすがにこの陽気には勝てなかった。朝のうちに親爺に連絡した。「前日までの予約が必要なのは重々承知していますが、本日お邪魔してよろしいでしょうか」と。
「頑鉄」はお上から、あれこれ指図される前の昨年6月から時短と予約営業を実践していた。おかげで“Go Toイート”実施の時もスタンプ利用やグルナビ予約の客はゼロ。客はお互いに気を遣い合う常連さんが殆ど。だから「頑鉄」が媒体となってのコロナ感染者は一人も出ていない……。そう確信している。
「ヘッ!?」。電話越しに、そんな声が聞こえた後「アハッ。原則拒否だけどとのさんじゃあ仕方ねぇなぁ~」と。続けて「こっちは大歓迎だよ。しかし体調は大丈夫?」「正直、でもないけど籠っているよりマシかもしれん。少しばかり歩き、40年以上見続けてきた『築地川公園』の桜を愛でるのもいいかなと。いつ見納めになるかも分からんし。熱燗ばかりじゃなく、ぼつぼつ『洗心』も飲みたいしな」
「了解。そうだ!黙ってても横ちゃんは来るけど、知ったかさんとおまさちゃんにも声を掛けとくよ。おまさちゃんは去年『得月』に釣られて来て以来だから、とのさんと『洗心』がセットなら大喜びじゃない?」「そうだなぁ。京子ちゃんとは一年、おまさちゃんとも半年近く会ってないもんな。たまには美女のお酌で楽しむか。5時前には行くよ。よろしく」で話は付いた。
<梶谷かぁ。そういえば、最後に会った時は学術会議メンバーのことで菅を扱き下ろしていたら平然と『(踏襲を)“ふしゅう”と読んだ総理もいることだし総理ってその程度でしょ』と言ってのけたっけ>。その時ニコッとし、舌をチロッと覗かせた顔を思い出し遠野の心も和んだ…のだが。直後に親爺から電話が入った。「どうした?“おまさちゃん”はダメか?」「いやいや。そっちは心配ない。ニュース見てないの。あのさぁ吉右衛門が倒れて病院に運ばれたが、心肺停止状態だってよ」「いつ?」「昨日の夜、ホテルのレストランで突然倒れたってよ」「えぇ!」「今んところそれしか報道されてないが、なんか、こうイヤなことばっかだなぁ」「ここで心配しても始まらん。俺も今からニュースを見て出掛けるわ。じゃあね」
その後、ニュースやワイドショウの報道に親爺情報以上のものはなく、3時には家を出て、東京駅からタクシーで築地川公園に。「ザッツ築地」の発行元「TMC(築地メディアセンター)」と、ほぼ同時に植樹された桜。スクスクと成長、会社も発展した。しかし、桜こそ今や近在の名所にまで伸びたのだが、それに引き替え「TMC」は…。いつ散ってもおかしくないとか。
俺には関係ないか―。チョッピリ寂しさを感じながらユックリ歩き「頑鉄」に向かう路地に入り込んだのは4時過ぎ。縁台では二人が並んで腰掛け煙草を吹かしている。恐らく横山と親爺が昨日の「高松宮記念」か、あるいは今週の「大阪杯」の話で盛り上がっているのだろう。と、奥に座っていた男が立ち上がった。果たせるかな横山だ。「いらっしゃいました」と親爺に声をかけ遠野の頭を下げた。「お元気そうで」「ああ、何とかね。有り難う」と応え、親爺の隣に腰を下ろした。
「いやね。吉右衛門と鬼平の話をしていたんだ」「私も以前から池波さんの小説の話を教えられ少しは鬼平も読んだのですが…」。恥ずかしそうに横山が頭を搔く。「ほれ、とのさんなら知ってると思うけど『殺しの波紋』のさわりと結末を聞かせてやってたんだ」と親爺。「やってた?親爺!“恩は着るものであって被せるもんじゃねぇよ”」。遠野が鬼平の名科白で返した。「アッハッハッ。違えねぇ。参った参った。そうだな、講釈してたんだ」と親爺。横山はポカンだ。「『殺しの波紋』ねぇ。そうだなぁ。悪だったか、嘘だったか<嘘も悪も小さいうちに消しておかないと、段々大きくなる>そんなんじゃなかったか」「ま、概ね間違ってないよ」「偉そうに。で、正解は?」。遠野が訊くと、徐(おもむろ)に冷めたお茶を飲み干し説明を始めた。
「<人というものは、始めから悪の道を知っていたわけではない。何かの拍子で小さな悪を起こしてしまい、それを世間の目にふれさせぬため、また、次の悪事をする。そして、それを隠そうとして、さらに大きな悪の道へ踏み込んで行くものなのだ>。ま、こんなところかな」。親爺、自慢気に鼻を鳴らす。横山は感心しながらも、真偽は?てな顔で遠野を見た。
「うん。“悪”を“嘘”に置き換えても今の政治にピッタリ。さすが『平家物語』の序文を諳(そら)んじているだけのことはある。やっぱ帝大出身だな」。遠野が拍手しながら続ける。「これじゃあ政府の諮問機関止りで学術会議入りは菅に排除されるな」
「冷やかすなよ。吉右衛門が倒れたのを聞いて、ふっと思い出して。記憶を辿りながら『殺しの波紋』に行き着いただけ。ま、学術会議はともかくコロナ対策の分科会ってのもロクなもんじゃねぇな。あの尾身って会長も結局は政治家のアリバイ作りに利用され、それを甘受してるんだから世話ないよ。仙台の感染者急増は誰が考えても2月23日からの“GoTo イート”が最大の原因だろ。それを緩みと地震のせいにしやがって」「ガス肝いりの“イート”が原因とは口が裂けても言えんってこと。京大の西浦教授や神戸大の岩田教授らも分科会に参入してもらいたいよ」。親爺と遠野、急に真面目な会話になった。
「そうそう。営業時間が切られているから、おまさちゃんも今日は早めに来るらしいぞ」「積もる話は山ほどあるけど、とりあえずは顔を見られるのが嬉しいやな。そう考えると横山君なんて毎日のように会えるんだから羨ましい限りだよ」「そ、そんなぁ。怖いんですよ結構。今じゃ金山部長なんてペコペコしてますし、甘方局長も恐る恐るって感じで接してますよ」。顔の前で手を振りながら横山が応えた「伝えとくね」。遠野が言うと「勘弁して下さい。ホント」「分かった。ところで金山はお咎めなしか」「例の大阪異動ですか?。あれはコロナの影響とかで中止になりました」「甘方も上げた拳の下ろし所があってお互い良かったんじゃない」。黙って聞いていた親爺は「へぇ~。コロナを利用した奴は政治家だけじゃなく他にもいるんだ。色んな人間がいるのが世の中よ。だから楽しくもあり、苦しみにも耐えなくちゃならんこともな」。梶谷が来るまでの縁台談議は親爺の下手な“鬼平口調”で終わった。
ちなみに横山は“おまさちゃん”の所以まだ知らない、はず。
源田威一郎
GENDA ICHIRO
大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。
斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。
競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。