8月22日夜9時前のこと。遠野の携帯が鳴った。「頑鉄」の親爺からだ。こんな時間の電話は珍しいし、黒岩みたいに首こそ傾げないがハテ?「札幌記念」の報告にしては中途半端な時間だが、と思いつつ画面をスライドさせると、いきなり「良かった良かった」。弾むような声だ「ん……」「いや、とのさんが『大丈夫だろ、勝てるよ』とは言ってたが、まさかこんなに早く“当選確実”が出るとはね。俺らは山中ってのことを詳しくは知らなかっただけに、半信半疑で……」
「ありがとね。なにしろ“瞬殺”だから予想以上の勝ちっぷり。麻生が自慢していたのと違って、ささやかながら、まさに横浜市民の民度が示されたと思うぞ」
「アホーが何だって」「いやいやアホーじゃなく麻生太郎」「ああ、“ふしゅう”(踏襲)の麻生か」「まぁ、麻生もアホーも似たようなもんだが、去年G7かなんかで日本のコロナ感染者の少なさを外国の要人から褒められて『民度が違う、と言っておいた』なんてほざいていただろ。そんなもんと一緒にされちゃあ困るってこと!」
「ああ、そういうこともあったなぁ。いかに政治家どもややマスコミがコロナを甘く見ていたかの証明でもある訳だ。……。あ、ごめんごめん。こんな時間に電話して」。急に親爺が謝った。
「なぁ~んも。まだ一杯、いやもう三杯やってるし、後は風呂だけ。横浜のことを気に掛けてくれていて、いい話相手ができて嬉しいよ」「うん。それでね、明日月曜日だろ。もし処方箋を貰いに東京に出てくるんならウチに寄らない?先週、横ちゃんの実家から、また『男山』の大吟醸が届いて。横ちゃんも『遠野さんにお会いしたいなぁ』と言ってたし。もちろん『ご無理させたら申し訳ない』とも」
「そうだな。どっちにしろ行かなくちゃいかんし、天気と体調次第だな。先月みたいにピカ天なら勘弁ということで」「分かった。おやすみ」
そんな遣り取りがあっての翌23日の月曜日。遠野がクリニック経由で「頑鉄」に到着したのは5時前。引き戸を滑らすとヒンヤリした冷風とともに「ご無沙汰しております」の声が流れてきた。横山だ。早い!
「久し振り。元気だったかい?」「おかげさまで。今日はご無理言ってすみません。有り難うございます」。深々と頭を下げ遠野を指定席に誘(いざな)った。自分はひと升分空けて横並びで座った。早速、親爺と吉野がお絞りと突き出しを、それから「男山」の大吟醸とグラスを机の上に並べた。小鉢や小皿が人数分ある。親爺は当然のように横山の前に腰を下ろした。
それぞれのグラスに冷酒が満たされたところで遠野が言った。「遅くなったが献杯よろしく」と。「そうかぁ4日はお参りしてきたんだよな」。お供したかった親爺がポツリ。「清水さんの命日だったんですね」と横山が応え3人で「献杯!」と。カウンター越しに吉野もグラスを上げている。
「ところで『札幌記念』はどうした?」「ハハッ。二人してスタートと同時に沈没さ。『函館記念』同様、池添が乗りに来るんならってことでソダシとバイオスパーク2頭軸の3連複だもん」。屈託なく笑って枝豆を摘まんだ。「親方に損させてしまいました」。横山が頭を下げた。「欲と横の道連れかぁ。しゃああんめぇ」。薩摩揚げを箸に持ちながら遠野が冷やかす。
「だけどよ~。横ちゃんは10レースの馬連万馬券を当てたんだぞ」。親爺、自分のことのように大威張りだ。「10?あれか。ルメールが1番人気で飛んだレースか」「はい。実はルメールは4レース(アメリカンマッハ)でも人気で4着。自分の研究が役に立つかどうかを試すいい機会だったんです」「なるほどなるほど」と遠野が応じ、酒をグビッと飲み、先を促す。
「4、10レースともに当該馬には前走もルメールが乗っていて②③着。惜しい負け方ですし、レース間隔も1ヶ月足らず。メッチャ追ったはずですし、その反動がここで出るんじゃないか、と推理して……。で、まぁ乗れてる武史の3歳馬から200円ずつ流した訳で」「同じ横山だしな。いや、それにしても立派。とりあえずは研究の成果ってことかな。サンデーの高馬クイーンズ何ちゃらの例もあるし、今後は俺も参考にさせてもらうわ。凄い凄い」。
遠野が褒めると「まだまだです。これからも遠野さんには競馬だけじゃなく色んなこと教えていただかないと。そうそう、そのクイーンズキトゥンですが今週あたり使うんじゃないですか。人気次第ですけどポン駆けに賭ける手もあるかな、と」「そうかぁ。ルメールを含め、覚えとこう」と遠野が言い、吉野が新しく持ってきた鮪の刺し身を口に入れた。
「それにしても横ちゃん勉強してるねぇ。そんなのがスラスラ出てくるなんて」。話に割り込んできた親爺が、今度は遠野の方を向き「やっぱりアレかねぇ。菅が敗因のすべてかね」「選挙?当ったり前だろ。山中が出馬表明したことで菅は“林じゃ勝てん”と踏んで小此木を担いだと思うぞ。常識的にオリンピック直前に国家公安委員長が辞任なんてありえん。コロナ対策はおろかテロ対策はどうなってるんだ。菅は無能無策じゃなく無能害策、小人チョロチョロして不善を為す。あいつは議員宿舎で鉛筆舐め舐め小学校の勉強からやり直した方がいい。質問と答案用紙が準備されている記者会見ですら記者との会話が噛み合ってないなんて世界の恥曝しだよ。日本のリーダーがあれでは金メダル幾らとっても自慢にはならん」。遠野、急に怒りまくっている。
「今回は横浜市民が民度を高めたが、果たして菅の選挙区の区民がどれだけ踏ん張るかだな」
「親爺の言う通り。選挙で落とすしか手はない。菅の情報網や仕打ちが怖いのか自民の議員もバカを承知で沈黙してるし、立憲が推した山中が当選したことで安住や枝野が偉そうに振る舞うんだろうが、立憲の支持者が増えた訳じゃないことを肝に銘じないと。尤もそれが分かっていればこんな政治には陥ってないか。はぁだよはぁ~」
源田威一郎
GENDA ICHIRO
大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。
斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。
競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。