「それにしても“慣れ”ってのは怖い。去年の“緊急事態宣言”下の4月26日には東京の感染者が425人、大阪が924人、全国で3318人。死者も1万人。これで戦々恐々としていたのにワクチンと国民の自助で、落ち着いたと思ったら今年に入ってあっという間の大感染。ついこの間までは2万人を超えた、だの4万人だのと言って驚いていたのに、今や3万人の感染者でもビックリもシャックリもしやしねぇ。死者だって去年より2万人も増えてるんだぜ。それでも<ふぅ~ん>てな感じで聞き流してるもんな」。そう言う親爺も比較的軽症で済むオミクロンに置き換わり、コロナへの警戒が薄くなっているのも確か。親爺は商売柄もあって”緊急事態宣言“だの、節目節目の日の数字は控えているらしい。
冷たい雨の降る16日の月曜日。午前中に親爺から電話があり「一昨日の土曜日にパンちゃん(木村さん)達が来てくれてな。なんでも今回の吟行は山形だったとかで『是非、遠野さんに飲んで頂きたくて』と言い『九郎左衛門』の大吟醸をお土産に置いていったんだ。都合のいい時に、まぁ早めに顔を出してくれるとパンちゃんも喜ぶだろうし俺の顔も立つんだが…」と。
「そっかぁ。『九郎左衛門』ねぇ。1週間早いけど雨さえ上がればクリニックに処方箋をもらいに行き、それから顔を出す手もあるか」「えっ!今日の今日でいいの?」「だから天気次第で」「まさに神頼みだな。いずれにせよ横ちゃんは来るし、とのさんが来るとなると喜ぶぞ」
そんな問答があったのだが、その最中から遠野の腹の内は築地に向いていた。空の様子を見てのクリニック予約でもあり、遠野が「頑鉄」に着いたのは6時過ぎ。玄関を開けて驚いた。左の席には例のゲーム屋さん4人が陣取り、真ん中には<予約席>の札が。遠野の指定席には何と梶谷も居て、遠野の顔を見るなり手を振った。さすがに声は出さなかったが……。
ゲーム屋さんに軽い挨拶をし座敷に上がると、梶谷が腰を浮かし壁に凭れるて“前をどうぞ”とばかりに掌を広げた腕を横にした。遠野は甘えて奥に座った。遠野はお絞りを使いながら「早いねぇ。嬉しいハプニングだよ」「おじさんから『今日は珍しい酒と毛蟹があるよ』と教えられて。ほら!遠野さんて毛蟹解(ほぐ)しを面倒くさがるでしょ。私が隣で解しますので召し上がってね」とニッコリ。パンちゃんに喜んで貰うのが第一の目的だったが<情けは人の為ならず>で無理して来た甲斐があった。
着いたばかりなのか遠慮か定かではないが梶谷と横山の前には空のグラスと焙じ茶しかない。「お待たせで恐縮。早速いただこうか」。遠野が口にした時には仲居のき~ちゃんがお通しを持って側にいた。アスパラの胡麻和えと玉葱の焼き浸しにお新香の盛り合わせもある。真打ちの「九郎左衛門」は親爺が持ってきてド~ンと。一升瓶だ。「おまさちゃんには後で唐墨を用意しているから」と。梶谷の瞳が星のように煌めき、喉がゴクンと鳴った。
「これが『九郎左衛門』かぁ。聞いたことはあるが飲んだことはないな」と言いながらグラスを差し出した。親爺が奥から順に両手で酌をする。梶谷が「おじさんには私が」と。揃ったところで一斉に口を付けた。
二口ほど飲んだ所で梶谷が「ふぅ~。日本酒って美味しいなぁ。『洗心』や『得月』より喉越しがチョッピリきついかな、とは思うけど宣伝されてる大手のお酒より全然違う。爽やかさの中にコクがあって」と感想を。「凄いなぁ梶谷さんは。『男山』の時にはウチの爺ちゃんと同じような事を言ってたし、やっぱり酒も食い物も味の分かる人の胃袋に収まった方が幸せですよね」。会社での態度とは違う梶谷を見て褒めそやす。梶谷は素知らぬ態で左手を副えて玉葱の焼き浸しを持ち上げた。汁が垂れるのを警戒してのことだろう。これは“慣れ”ではなく“習慣”。こんな仕種に育ちが出ることもある。
「おまさちゃんには下手な酒は出せねぇな」「あら、そんなことないですよ。最近こそ外食はありませんが、会合ではそれなりに合わせています。『洗心』に慣れてそれが当たり前とは思ってませんから」とキッパリ。
そこら辺から“慣れ”の話題が出て「政治家の圧力や悪事にも慣れてきたのか、メディアも世論も大人しいよな。あの公明党の遠山なんてのも怪しからん。40億円近い金を仲介して、その罪状と罰が<貸金業違反>で懲役2年、執行猶予3年、罰金が100万てんだから話にならん。財務副大臣が政策金融公庫に話を持ちかけ、成功の暁には上前をハネてたんだから圧倒的に<贈収賄>だろ」。遠野が憤慨すると「昔から“乞食と政治家は三日やったら辞められん”と言われてたもんだが、元・民主党の国会議員だった山下なんてのは議員の無料パスを使ってグリーン車を乗りまくり『昔(議員時代)のことが忘れられなくて』と謝り、細田の爺さんは『歳費を多少増やしてもバチは当たらない。100万円は少なすぎる』と。これが衆議院議長ともあろう者の言うことか!いや“もっと金寄越せ”が本音か。安倍の“モリカケ”も有耶無耶だし若い奴がもっと怒らんと」
「大将にそう言われると<競馬に夢中になっててもいいのかな>と悩むんですが…」。横山が言って頭を搔く。「それが仕事なんだから。頭を搔くのはいいけど予想が外れっ放しで恥だけはかかんように。それで給料貰ってんだろ」「そうよ。タマにだけど経費も使ってるし。いい取材と予想をお願いね」と、梶谷が珍しく声をかけた。続けて「で、『オークス』と『ダービー』はどうなの。私も買おうかな」
横山は得たり!とばかりに膝を打ち、じゃなく残ってた酒を飲み干すと「現時点ですが自分は『オークス』『ダービー』ともに川田に期待してアートハウスとダノンベルーガです。間近になったら大将と相談して決めます」「そうね。よろしく。ところで遠野さんは?」「俺?『オークス』は横ちゃんと親爺に聞いて一緒のを買う積もり。おまさちゃんと同じ思いで応援できるし…。『ダービー』は武豊のドウデユースかな。ダービー馬のオーナーって比較的馬主歴の浅い人がなってるし、何と言ってもオーナーは“京マツ”であり“強松”。運も強いと思うぞ」。遠野が言うと3人とも「きょうまつ?」。遠野は聞こえぬ振りをして「クラシックは特に乗り役も厳しい戦いを強いられるし道中のゴタゴタも付きもの。とはいえレース後の『直線なかほどで○○番の進路が狭くなる事象がありました。この件については後ほどパトロールフィルムを放映します』で問答無用。チョンにしてしまうのは辞めて欲しい。ファンも虚勢されたみたいに慣れちゃったら競馬会の思う壺。そうだろ親爺!」
源田威一郎
GENDA ICHIRO
大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。
斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。
競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。