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競馬コラム

心地好い居酒屋

2023年03月29日(水)更新

心地好い居酒屋:第130話

コロナ禍でしばらく自重していた高校の同級会が3年ぶりに行われた。もちろん全員が後期高齢者に達している。でもって始まりは午後2時、締めが4時半。場所は池袋駅構内にあるデパートのレストラン街の居酒屋。会費は8000円也。男8人、女3人の11名が集まったが、その内10名は電車の乗り換えなし。遠野も湘南新宿ライン1本で所要時間は40分ほど。幹事の配慮が窺える設定だ。


もっとも、その間も特に仲が良かったその幹事を含め3~5人で飲み会はやってはいたのだが…。ちなみに場所はすべて横浜か新横浜の駅近。遠野の体調を慮ってのことである。ところがこの5年間で3人の仲間、つまり同級会出席の常連が亡くなっている。それも何の前触れもなく。“遠野大丈夫か?気をつけろよ。お前がおらん(居ない)とつまらんし寂しいけん(から)のぉ”と労ってくれてた奴らが先に。遠野自身申し訳ない気持ちでいっぱいだし、周りに感謝して生き延びている。


閑話休題――。


池袋まで出てきたら「頑鉄」に行くしかない。時間的にも車より電車が早い。久々に地下鉄有楽町線に乗った。新富町まで約20分。地上はまだ明るい。花冷えで空気はヒヤリとしたが、ほろ酔いの肌が心地よい。野球音痴だったはずの連中もWBCには感激。年金や不安な体調、そして暗い世相の話題が少なかったのだから、まぁ良しとしよう。


「頑鉄」到着は6時前。よくみかける“老夫婦”が左の壁際に居た。年寄りは早い。テーブルには二合徳利とお猪口が2個に刺し身と天ぷらが。具材は蕗の薹かタラの芽、コゴミ…あたりか。年代も近い遠野が感じるのもおかしいが微笑ましい光景ではある。


軽く黙礼をして指定席に向かう。焙じ茶を啜りながら親爺と話し込んでいたらしい横山はスックと立ち上がり「ご連絡いただき有り難うございます。まさか今日お会いできるなんて…」と。“おいおい。俺が連絡したのは親爺だぞ”とは言わず「やぁ」の一言で奥に腰を下ろした。「どうする?」と親爺。「そうだな『千寿』の熱燗を貰おうか。横山君は?」「はい。同じ物を」


熱燗が届くまでに親爺がお通し=蒲鉾、松浦漬け、独活の酢味噌和え=を運んできた。「今、山葵を摺ってくるから」と言って再び席を外した。


「遠野さん、聞いてくれますか?」「いつでも聞いてるよ」「あ、すみません」「冗談、冗談。お気に入りの丹内復活で親爺『高松宮記念』の馬券でも取ったか」。「いえ…実は」。横山が続けようとした時親爺が熱燗と山葵を持ってきたのだが、遠野と横山の会話が耳に入ったのか「俺も情けねぇよ。3連複とは言わんが、せめてワイドでも買ってりゃいいのに単複1000円ずつだもん。やっぱ信頼したんなら最後まで信頼せんとな」と嘆いて遠野と横山に酌をする。遠野が返しながら「単複を買っただけでも立派。俺なんか“後で気がつく寝小便”で<内枠の丹内じゃないか!>てなもんだ」。


首を振りながら酒を呷り「ところで横山君の話は?」「はい」と言って猪口を置き「親爺さん、大谷のかけ声を暗記していて。もう何回も聞かせてもらいました」「かけ声って『僕から一個だけ』ってやつ?」「そうです」「平家物語の<祇園精舎の鐘の音 諸行無常無常の響き有り>から始まって<前(さきの)太政大臣平朝臣清盛公と申しし人の有様 伝へ承るこそ心も言葉も及ばれね>までを暗誦できる人だもん。大谷の『憧れるのをやめましょう』から『さあ行こう!』ぐらいは屁の河童だよ。なぁ親爺」。遠野が応えると目を白黒させながら遠野と親爺を交互に見ている。「へへっ。つまんねぇ奴がどんな偉そうな言葉を使っても心に響かねぇし覚える気もねぇけど大谷のは桁が違う。まさに次元が違う。昔からとのさんが『大谷ってのは凄い選手で人間性も素晴らしい』と褒め讃えていたが、改めて感じ入ったね。もちろん、とのさんの人を観る目の確かさも」


「俺については親爺の買い被り。ただ大谷に関しては初めて観た高校時代の顔相だな。卑しさは元より傲慢さにチャラチャラ感は微塵もなかったし、次に入団会見や行動。その後のインタビューもしかり。あの年で応対辞令が完璧だなんて…。細かいところまで言い出したらキリがないし上手く表現もできないよ。大谷こそ日本の、いや人類の宝。今回の快挙で、大谷みたいな人間を認め、その域に近づこうとする人間が増えれば、俺は俄ファンでも嬉しいね。でも結局は嫉みに謗り、あるいは利用しようとする輩(やから)の方が多いんだろうな。一昨年は深夜のBSでも無視、実況をスルーしたNHKが31日には真っ昼間から地上波で放送するってんだからビックリだよ」


珍しく長口舌を揮って喉が乾いたのか水を飲み、新しい酒をグビっと。そして松浦漬けを口に入れた。「甘い。(鯨)軟骨の量も減ったんじゃない。(珍味屋)大谷さんとこ?」「そう。新しい客の中に佐賀出身の人が居てね。『松浦漬けを食べたい』と。今日予約もらってるんだ。それはともかく同じ大谷なのにこんなに違うとはなぁ。あそこで作った訳じゃないけど『とのさんが残した』と伝えとくわ」「勿体ないから残さないけどね」と遠野。


「日ハムファンですからもともと大谷選手を応援はしていましたが、そこまで観察していたとは…。パンサラッサのずば抜けた速さと粘りをいち早く教えてくれたのも遠野さんですし、畏れ入りました」「おいおい。大人をからかっちゃいかんよ」。今度は“おいおい”を声にした。「と、とんでもないです。遠野さんと親爺さんのことは祖父にも話していて『人に恵まれたな。粗相のないように』と言われてますし」。慌てて手を振る。「分かった分かった。それより横山君こそ素晴らしいじゃん。ジェラルディーナが栴檀であると双葉時代から期待していたんだから。『大阪杯』も買うんだろ?」「はい。双葉は芳しくなかったんですけど良かったです」。照れながらニッコリ。若者は感情の転換も早い。


「おっつけおまさちゃんも来るだろうし筍を炙るか」。親爺が立ち上がった時、玄関が開き梶谷が入ってきた。ボケッと立っていた親爺と遠野に「お待たせしました」と言うや否や「ねぇねぇ。朗報!阿部さんが来月には『頑鉄』にお邪魔する積もりだって」。一瞬ポカンとしていた親爺だが、すぐ正気に戻って「日が決まったら早めに連絡してよ。準備があるから」。喜々としている。


遠野は横に座った梶谷か親爺にか、それとも独り言か「3年ぶりだなぁ。生きてて良かった」と。

源田威一郎

GENDA ICHIRO

大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。
斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。
競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。

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