5日午前中に電話が鳴った。案の定親爺からである。
「昨日はどうだった?」
「ああ、親爺こそお疲れ。いつもありがとな」
競馬のことではない。昨日は清水成駿の祥月命日だ。清水が亡くなって丸8年。親爺はずっと覚えてくれている。
「この体と暑さ、とてもじゃないがお寺さんまではとてもとても。で、墓参りにも行ってた連中と夕方自宅に集合。仏壇に手を合わせた後、清水さんがよく通っていた鰻屋で献杯、昔話で偲んだってとこ」
「確かに。7年前の暮れだったか、とのさんに連れて行ってもらったがあのお寺のお墓は近所に遮る建物がないから、まさしく炎天下、坂や階段もあるし、とのさんだけじゃなく健康で若い人だって大変だわ。夫人宅には来ないでお寺からまっすぐ帰った人もいるだろうし……。律儀な人が多いな。まぁこれも人徳か」
「いやいや律儀さでいえば親爺だって負けてないよ。月命日もしっかり拝んでるんだから……。本当にありがとな」
遠野ですら時に月命日を見過ごすことがあるのだ。親爺には頭が下がる。
「えへっ。俺は大義名分というか口実を作って酒を飲みたいだけ。とのさんに礼を言われてもなぁ」
照れ笑いしながら禿頭を搔く仕草が目に浮かぶ。
「で、昨日は?」
今度は遠野が訊く。
「吉野が付き合ってくれてな。こいう時は角の『安達屋』の豆腐を食いたかったけど店を閉めちゃったし、漬け物と板わさに乾き物で献杯さ。あ、清水さんには鮎をお供えしたけど」
その鮎も寝酒の時に親爺の腹に収るのだろう。
「ちゃうちゃう。馬券だよ馬券」
遠野があえて茶化す。
「ん?馬券ねぇ。横ちゃんが居ないし、札幌のメーンだけ買ったけどパーだよパー。そうそう、それより横ちゃんも驚いていたぞ」
「…………」
「ほれ札幌出張の前にとのさんが『ローカルは丹内と菱田に注目する』と言ってただろ。で、函館の最終週に函館に飛んだ訳だが最終日の8Rは丹内→菱田ときて馬連が2万円弱、札幌の開幕2週目は重賞の『クイーンS』を含め土、日のメーンをブッコ抜いただろ。『遠野さんて神懸かりの人ですね』と“神様”扱いだよ」
「ふぅ~ん。それは有り難いことで。でも肝心要の『函館記念』の丹内と菱田は行方不明。褒められたもんじゃないよ。ただ特に丹内はローカルを厭わず地道に努力しているのが好きでな。人気を上回る着順が多いんじゃないか。要するに買いがってもいいってこと。横ちゃんには“盲信”しないよう伝えといて。親爺の清水さん頼みとは違うんだから」
「了解。話は違うけどオリンピック報道は何とかならんかね。この夏は暑すぎて客も少なくてな。夜も予約の客が帰れば早仕舞い。テレビを観るしかないが朝から晩、いや夜中まで大本営発表だもん」
「決めたぁ~。ニッポ~~ンか。じっくり観たい試合もあるのに実況か絶叫じゃあ白けもするわな。おまけに今朝は大谷中継もなかったし。ウンザリだよ」と応え水を飲んだ。
「とのさんはもともとショー化した採点競技が好きじゃかったし、そのうえ誤審紛いの判定が続出だしな」
ナショナリズム丸出しのオリンピックについては意見合致だ。
「だけど話して大丈夫なの?疲れたなら言ってよね」
「なぁ~んも。むしろ喋ったりカラオケで歌ったりしたほうが喉や肺に筋力も付いて誤嚥の危険性も減少するらしい。電話を頂いたこと感謝に堪えません。今、スマホに向かって頭を下げたからね」
「またまた。でもやはり元気な声を聞くとこちとらも嬉しいわな。オリンピックが終わる前には高校野球が開幕、こっちも感動と涙の押し売りが始まるなぁ」
「それは毎度のことだけどオリンピック同様審判の権威主義と誤審には辟易するよ。審判の主観が入り俺が好きじゃない採点競技はともかく、今やテニスやッカーに野球……。ほとんどのスポーツにビデオ判定が取り入れられてるのに高校野球は審判の判断がすべてで問答無用。熱中症対策は当然ながら審判の育成とビデオ判定にも力を入れてほしいよ。去年の横浜と慶応戦は熱心に観たが今年はたまたま終盤を観ててな。詳しいことは別にして今年の千葉の決勝だって勝敗を分ける微妙な判定があって。俺は市船も木更津も関係ないけど、エラーを守備妨害と判定されて市船の三塁走者がアウト!。珍しくベンチの長い抗議も却下。あれだってビデオ判定すれば双方納得できるはず」
久々の喋りと長口舌に疲れたかふぅ~とため息をつき改めて氷水で喉を潤す。
「誤審といやぁ競馬会の裁決だって似たようことが起きてるじゃん。もはや“死語”に近い“審議”だってほとんどが『妨害がなければ着順が入れ替わると認められず入線通り確定します』でチョン。清水さんも『脚があったかどうか、脚色で判断するなんて余りにも独善的で傲慢』と怒っていたが、今はマスコミも競馬会の審判にひれ伏すだけ。何事でも審判てのはそんなに偉いのかねぇ。こうして一般庶民は馴らされていくんだろうな。はぁだよはぁ~」
今度は親爺がため息をついたようだ。
後期高齢者二人だけの会話とは所詮こんなもんか。まだ飢えずに酒を喰らえて、馬券も楽しめるだけ幸せかも。「安達屋」の豆腐が食えなくなったのは残念だが。
源田威一郎
GENDA ICHIRO
大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。
斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。
競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。