クリニック経由でやっと「頑鉄」に着いたのは6時前。覚悟はしていたが思ってた以上の混雑ぶり。風邪にインフル、コロナ。おまけにマイコプラズマにリンゴ病……。小児科の医師もいるだけに母子での来院も多く待合室は満杯。予約はしていたのだが少々待つことになったのだ。仕方ない。
タクシーの音が聞こえたのかドアーが閉まると今や遅しとばかりに玄関が開いた。
「外は寒っむいだろ。入って入って。おまさちゃんがお待ちかねだよ」
ニコニコしながら親爺が迎え入れた。
その梶谷は土間に降りて酸素ボンベキャスターを置く格子枠の側に居た。
「お疲れ様です。さあどうぞ」と手を差し出し遠野が抜いた鼻孔カニューラ(チューブ)を受け取った。
「早く」と促され、先客の視線を感じながらそそくさと指定席に座る。と差し込み口を丁寧に拭き格子の隙間からカニューラを返し、自らも上がってきて真ん前に腰を下ろした。
遠野が<ありがとう>を言う間もなく
「ご無沙汰です。やっとお目にかかれて……。お元気そうでほっとしました」
潤んでもいるようで珍しく神妙だ。
一瞬応える言葉に詰まったが
「いやいや、こちらこそ。優しくて綺麗なおまさちゃんに会えて感無量です」
遠野が言うと
「なんちゃってね」と舌をチロリ。
可愛い。芯から心配してくれてたようだ。来て良かった。
「飲めるんだろ?」
「何ふざけてんの。当ったり前だろ。おまさちゃんの酌で『千寿』の熱燗を楽しみにしてたんだから。それに唐墨も」
「あいよ!」で親爺がカウンターに向かうと仲居のき~ちゃんが暖かいお絞りと氷水を持ってきた。好みを知ってて有り難い。
「どうでしたクリニック。保険証でスンナリでしたか?」
遠野がマイナ保険証を持ってないのを知っている梶谷が訊いてきた。
「別に。受付も普段通りで医者も全く触れずじまい。待ってる間も新しい子連れ患者が何組かきたが俺の見ていた限りでは殆ど保険証だったような気がする。ただな……」
と続けようとした時に親爺が二合徳利と猪口を持ってきて小上がりに腰かけた。
「良かった良かった。まずは一杯だ」
と言って遠野、梶谷。そして自らの猪口に酒を注いだ。3人で猪口を上げた後、口を開いたのは何と梶谷で
「遠野さんの回復を祝して乾杯」と。初めての事だ。
遠野は<この娘(こ)は自分の体調をどこまで知っているのか>不思議に思いながらもつい「ありがとう」と。勢いでグイと飲んだ。体は暖まりきってなく10日近くの禁酒でもあったし食道から胃……まさに五臓六腑に染み渡るとはこのこと。味より“命”を実感した。二口めで味わい飲み干しと「ふぅ~美味い」。遠野が声にする。
すかさず梶谷が「どうぞ」と酌を。至福の瞬間(とき)が訪れた。
「さっき保険証がなんちゃらとかが聞こえたんだが何かあった?」
「別に。ただクリニック近くの処方薬局がな」と言って山葵タップリの蒲鉾を口に入れ数回噛み酒で流し込んだ。「で、どうした」てな感じで二人して耳を傾ける。
「その薬局の受付窓口の横に『12月2日より従来の保険証ではなくマイナ保険証に移行します』みたいな事が大書されててな。けったくそ悪いから明日自宅近所の薬局で貰う予定にしたってこと」
「なるほど。お上の圧なのか従順な薬局かはともかく業者とお上の馴れ合いは間違いないな。マイナ保険証の患者を増やせばご褒美が貰えるんじゃないの。そんなの見るととのさんならずともけったくそ悪いわな」
親爺が同調し席を立った。
「この前遠野さんが『石破の一人歩きに望みはある。岸田と一緒で正式に総理に任命されたら豹変するかも』と仰有っていましたが悪い方に出ましたね。顔も目付きも卑しく不気味になったし」と梶谷。
「面目ない。親爺とは電話で話したが俺の目すり。森山(幹事長)も耄碌したし、おまさちゃんの言う通り“昭和は遠くなりにけり”か」
指定席は二人っきりだ。
「えっ!私そんなこと言いました?覚えていません」
梶谷が慌てて否定する。
遠野は顔を近づけ小声で「元号が令和に変わった6月かな。ボソッとね。昭和初頭の句“降る雪や 明治は遠く なりにけり”が頭に浮かんだんだなと思って。で、余計な事だけどおまさちゃんは昭和64年の1月生まれかなぁと」
「やだっ!もう遠野さんって」
遠野がシッと指を口に当てると
「別に年を隠す訳じゃないけど油断も隙もあったもんじゃないわ。これじゃあ今の『ザッツ』の社長や甘方を筆頭に上層部が遠野さんを敬遠していたのも無理ないわ。どんな嘘でもおべんちゃらも見透かれそうだし……。当時の社長も扱い辛かったでしょうね。正論を吐いて“読みや切れ”が鋭すぎるのも考えものです」
「いやいや“才色兼備 明眸皓歯”のおまさちゃんや京子ちゃんには叶いません」
「まぁ~ね」
ニッコリだ。
円満に内緒話が終了したら、いよいよ唐墨の登場だ。
「今年は比較的豊漁で物もいい具合に仕上がってるぞ」
親爺の言葉に二人“うん”と頷き早速箸を付けた。1センチ弱の切り身の真ん中に包丁を入れ、間に瑞々しい胡瓜を挟んでいる。
「色合いもそうだが胡瓜のおかげで唐墨の粘りがシャキッとして文字通り歯切れがいいもんな」
梶谷は瞬く間に一切れ食べる。遠野が酌をするとグイと一飲みで「幸せ~」と。
親爺も満足そうに見つめ
「ボツボツ横ちゃんが来る頃。今度はじゃがいもを送ってくれてな。今じゃがバタやってるから」
「横山君は爺コンね。まぁ素直だから憎めないけど」と梶谷。
噂をすれば何とやらで唐墨を味わい終わった途端、横山が入ってきた。
「先日は電話で失礼しました。お会いできて光栄です」
「そんな堅苦しい挨拶は抜きだ。さぁこっちへ」と隣に呼び寄せ都合も訊かず酌をする。
「恐縮です。頂ます」で一気に飲み干すや否や「いよいよ『有馬記念』ですが『ザッツ』創刊の昭和50年には遠野さんが『1点勝負』ってコラムで◎○『有馬記念』を仕留めたとか。最近行くようになった近所の居酒屋の大将から先週聞きました。以来競馬は『ザッツ』で遠野さんのファンだったとか。『大当たりレースを挙げたらキリがねえ。ところがいつの間にか誌面から消えちまって』。ボヤいていました」
「俺も初耳だ」
「喋ってないもん。それに親爺はその頃から『東スポ』と『1馬』専門だろ」
遠野が返すと「確かに」でハゲ頭を叩く。
「改めて言われるといい思い出だな。茶色の地肌丸出しの上の芝は枯れ、寒風吹き荒ぶ中、土煙を舞わせての戦い。馬券も取り、これこそが『有馬記念』と跳び上がったもんだ。それはそれとして今や年中緑の絨毯。スタンドは洒落たガラス張りで暖房バッチリ。季節感がなくなっちまった。おまけに同じ勝負服がゴロゴロ居て」
来年は昭和百年。<競馬場 昭和は 遠くなりにけり>。季語なし……。
源田威一郎
GENDA ICHIRO
大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。
斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。
競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。