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競馬コラム

心地好い居酒屋

2025年01月15日(水)更新

心地好い居酒屋:第152話 昭和の傑物がまた一人逝った

   

昭和の傑物がまた一人逝った


上田 琢巳 享年83歳  合掌





「そうかぁ。最近見ないと思っていたら具合が悪かったんだ。健筆と言っていいのか分からんが『西の仕掛人』は数字に弱い俺にも少しは理解できて清水さん亡き後の『東スポ』では一番読んでたコラムだったんだけど……。正月早々に亡くなっていたとは」。親爺がため息まじりに嘆じる。


「いや上田さんは心配り、気遣いの人。“年末年始に迷惑をかけちゃいかん”とばかりに9連休を楽しんでいる世の中の人達に配慮してギリギリ6日まで耐えたんだと思う。そんな人だったんだ」と遠野が応え献杯の酒を呷った。冷酒だ。苦い。


「とのさん結構親しかったんだ」


「まぁな。昭和が終わると同時に訳あって『1馬』(現優馬)を辞め地元の大阪(兵庫)に帰ったから会う機会は少なかったけど、『1馬』時代を含め清水さん健在の頃はちょくちょく一緒に飲んでいたんだ。清水さんの入院先でも顔をを会わせたし最後に会ったのは清水さんの『三回忌』の席。もう6~7年前のこと。残念だし惜しい。動くときつい、息苦しいなんぞほざきながら、まだ生き永らえて酒を喰らってる我が身が情けない」


「……」


「いつだったか。40年以上前だな。清水さんが『マネージャーで俺の友達』って紹介してくれたんだ。で、二人っきりの時『上田さんは洒脱だし腰が低い。発想はすごいし、どんな人?』って訊いたら『<己に如かざる者を友とする勿れ>。とのなら分かるだろ』と。“なるほど”で唸るしかなかった」


「清水さんがそこまで惚れ込み尊敬してたんだ。俺も一度会いたかったよ」。親爺、憮然とした面持ちで酌をする。


平成生まれの横山は話題に入れず乾き物をつまみに酒と水を交互に飲んでいたが、急にスマホを取り出し指を動かし始めた。恐らく“己に……”を調べているのだろう。


「清水さんが立ち上げた<日本一遅いWEB競馬新聞>『競馬成駿』にも当初から参加、そのラップ理論には多くのファンが付いていたんだが……。独特の分析と理論は誰にも真似できないが形として残ってるのは『優馬』の<馬柱>だな。最初の3Fと上がり3Fが明示され、場所別成績欄に①~⑤着までの数字が示されているのは俺の知る限りでは『優馬』のみ。あれは『1馬』時代に上田さんが考案したもの。凄いことだぞ」


クリニックからの帰りに『頑鉄』に寄ったのだが、新年の挨拶もそこそこに遠野が訃報を知らせるとにこやかだった親爺の顔も曇り、肴もそこそこに、まずは酒。「献杯」となった訳だ。「東スポ」紙面での訃報は7日発行分。WEBに至っては清水が生きている時から見てないのだから「競馬JAPAN」「競馬成駿」での報道は知る由も無い。


「いいか。今でこそフルゲートの16頭18頭は当たり前だが当時は5頭立ててのも結構あった。それでも敢えて⑤着まで入れたのは今の多頭数競馬を見越してのこと。5頭が同タイムで入線する競馬は多々あり、④着以下を十把一絡げで扱うのはおかしいと。俺自身が上田さんから聞いたんだから間違いない。何でも『④着⑤着があればもっと上位に来る可能性は高い。そんな馬が高配当の主役になるでしょ。その為にも重要なデータ。“専門紙”ならその位は提供しなくては』と。もちろん清水さんと話し合った上でのことだと」


「そうですよねぇ。今や3連単、3連複が主流。③着が狂って万馬券なんてザラですもんね。自分が『優馬』で検討するのもデータが豊富だからなんです」。やっと発言の場ができたとばかりに横山が口を挟む。


「こうも言ってたな。『清水は現場に出て采配を揮い、俺は裏方に回ってデータ収集と分析を。謂わば動の清水に対して俺は静。『競馬成駿』でもそうだった。『東スポ』入社も清水の口添えがあればこそ』と感謝もしていた」


「ふ~ん。不謹慎かも知れんが二人は最後まで“動と静”だったんだ。清水さんは万物を成長させる暑さ真っ盛りの朱夏で、上田さんは成長した者を蔵す小寒の玄冬。まさしく<四時の序。功なす者は去る>-か。あ、そうそう。とのさんも“我が身が情けない”なんて嘆いていたが可惜身命の精神でもっと生きててくれよ。第一……」


「何?」


「まだ功を成してないもん」


苦笑いするしかない。


暮れにも“昭和は遠くなりにけり”と感じたもんだが「競馬成駿」では清水や上田さんに続く俊英が育っているし、その行末を楽しみ、見守るのも悪くない。二人の所にはいつかは行ける。土産話ができるよう愛弟子達の奮闘を願う。


源田威一郎

GENDA ICHIRO

大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。
斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。
競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。

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