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競馬コラム

心地好い居酒屋

2016年06月15日(水)更新

心地好い居酒屋:第1話

東京メトロ日比谷線の築地駅を降りて市場通り沿いを新富町方面に50㍍ほど進み路地を左折すると、すぐ左側に遠野宏司が贔屓にしている居酒屋「頑鉄」がある。

その屋号からも察することはできるが、親爺が頑固なのだ。特に酒と肴には煩い。

毎朝自ら河岸に出向き、値段に見合う旬の魚を仕入れてくる。もちろん自分が酒を飲む時に食べたいからでもある。

値段はそこそこ取るし、客に対しても決してへつらわない。通ぶったり、味より高価な食材を好み、威張って注文する客とは口もきかない時もある。

それでも客筋は良く、店内でのもめ事もまず見たことがない。いつ行っても客は居るし、要するにいい店なのだ。

ただし、これは後に遠野と親爺が親しさを増し、3席しかないカウンター席に誘われ、お互い私的な話もするようになってから知ったことなのだが、屋号の由来は他にもあった。

開店は平成2年。その前年、平成元年7月から始まった中村吉衛門の鬼平犯科帳にハマったらしい。

そこで鬼平絡みの名前を考え、頭に浮かんだのが「五鉄」。密偵達の溜まり場で鬼平の心も和む軍鶏鍋屋である。

もっとも自分の名前が後藤哲也であることからして本当は「五鉄」にしたかったのかも。

いずれにせよ、旨い酒と肴で仕事帰りのサラリーマンが疲れた心と体を癒してくれれば、という思いがあったのは確か。

おまけに自分はいつも数少ないカウンターの隅で板前にあれこれ指図、料理を注文しながら一杯やれるのだから、親爺にすればまさに一石二鳥の場所といっていい。

ついでながら遠野と親爺が肝胆相照らす仲になったきっかけはといえば_遠野が顔を出すのは金曜日の8時過ぎ。その時間の親爺はだいたいが競馬専門紙「Ⅰ馬」を広げている。

平成10年6月5日の金曜日も例にもれなかった。

隣に座ると「遠野さんよぉ。清水がボールドエンペラーってのに◎打ってるけど、どう思う?」

「どうもこうもないでしょ。清水さんのポツンが怖いのは親爺も知ってるだろ」

「うん。それは百も承知だけど・・」。禿げ頭を抱え込んだ。

「気がないなら止めたら。俺は買うけどね」。遠野が突き放した。

「あんた今、清水さんと言ったけど知り合い?」関係ないことを訊いてきた。

「ああ、少しね。競馬場帰りに一緒に飲む程度には」「何だ!親しいんじゃない。それならそうと早く言ってくれればいいのに」と不満げだ。

「別に隠してた訳じゃないし、第一訊かれてないもん」。「じゃあ今度連れてきてよ。俺、清水の予想が好きなんだ」。

「だったら俺に相談なんかしなくて買やぁいいじゃん」。この一言でシャンシャンとなった。

ダービーの結果は①着スペシャルウィーク②着ボールドエンペラーで馬連⑤⑯は1万3100円。親爺は狂喜乱舞の大儲け。その後、遠野が清水と連れ立って「頑鉄」を訪れたのは言うまでもない。

競馬と清水が繋いだ遠野と親爺、さらには「頑鉄」の仲はまだまだ続く。


【著者プロフィール:源田威一郎】
大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。

斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。

競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。

源田威一郎

GENDA ICHIRO

大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。
斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。
競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。

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