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競馬コラム

心地好い居酒屋

2016年06月26日(日)更新

心地好い居酒屋:第2話

遠野が「頑鉄」の引き戸を右に滑らせ、中に入ると、客は八割方埋まっていて、小上がりの掘り炬燵式の座敷の一番右奥、カウンターに近い席には常連の井尻高男以下4人が陣取り盛り上がっていた。

遠野は井尻に左手を軽く上げ、例によって親爺の隣に腰を下ろした。「連中、今日はやけに興奮気味だけどどうしたの?」。

親爺はヘヘッてな感じで「突然の人事異動があったとかで、その結末を何かとね」

「なるほど」興味なさげにお絞りを使ったのだが…。

井尻たちの席は格子作りの壁でカウンターと仕切られているだけ。その間隔は約1㍍。

よく見えもするし、少し大きな声を出すと、聞く積りはなくとも自然と話は聞こえてくる。

「しつこい様ですがあれって絶対左遷ですよね、井尻さん。あんな人事がまかり通るようじゃ、うちの会社もおしまいですよ」とは刈田という30前の男だ。

口に入れた鯵フライが飛び出すんじゃないかと思えるほど悲憤慷慨のてい。なんでも、刈田が尊敬している山田なる課長が据え置きで、井尻と同じ係長だった若い別部加寿雄が新設の部次長に昇格したのが気に入らないらしい。

遠野も訳ありで山田も別部も知っている。そして山田は見識が高く物静かな男で、社会人として、人間として、別部とは格が違うことも。

それだけにチョッピリ気になったのか、親爺の「今日のはグジだから…」うんぬんを左手で制し、右手の箸を口に運びながら耳を傾けた。

その箸は親爺が開店以来こだわり続けている一汁三菜の“懐石〟、平たくいえばお通しなのだが、そのうちの一品、骨を抜いた甘鯛(若狭湾ではグジ)を摘まんでいる。

「いつまでも興奮するな。ほれ一杯やれ」。井尻が徳利を差し出しながら続ける。「腹が立つのは俺も一緒だ。まぁ今さら騒いでも仕方ないし、この話は打ち切り。ただいつも通りのお節介だが、お前の言い草は正確じゃないな。だいたい左遷の語源を知ってるのか」。

遠野が振り向くと肩越しに井尻と目が合った。遠野が頷く。「あのな、遷は移ること。山田さんは動いてないし、現状維持である以上左遷とは言えん。比較論での降格ってとこか」。

刈田は納得がいかない様子でグビッと飲み干す。「左遷とはだな。項羽が秦の都咸陽で北を向き左手で西を指し、劉邦を田舎の漢中に追いやったことに由来している言葉なんだ。スマホで検索しろ」。

「ふ~ん。でも最後は項羽を倒して劉邦が漢を起こす訳ですから、山田さんの捲土重来にも期待できますよね」。刈田の知識も満更ではなさそうだ。

「かといって会社で、あまり不平不満に愚痴はこぼさん方がいいぞ」と井尻が釘を刺す。

タイミングを見計らったように遠野は振り向き、笑顔で井尻を手招きし、寄ってきた井尻にすっとメモを渡した。

“蜚鳥(ひちょう)盡きて良弓蔵され、狡兔(こうと)死して走狗烹らる…”(注1)

「山田は、そうなる前に辞めると思うぞ」。怪訝そうな井尻に向かって「ほらスマホの出番だ。狡兔(こうと)死して…で調べてみろ!」



(注1)飛んでいる鳥を射尽くしてしまうと良い弓も蔵にしまわれて、すばしこい兎が死ぬとよく走る優れた猟犬も不要となって煮て食われてしまうこと~『史記』


【著者プロフィール:源田威一郎】
大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。

斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。

競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。

源田威一郎

GENDA ICHIRO

大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。
斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。
競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。

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