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競馬コラム

心地好い居酒屋

2016年07月26日(火)更新

心地好い居酒屋:第4話

大暑も過ぎた月曜日に井尻から電話が入った。「あ、突然すみません。遠野さん今日の明日というわけにはいかないでしょうが、明後日あたり時間とっていただけないでしょうか」。

「どうした、何かあったのか?」「いや、遠野さんの仰る通りで山田さんが辞表を出しました。その件で…」。いつも連れてくる若い連中の前では話せないような感じだ。

「構わないよ。どうせなら早い方がいいんだろ。明日にしよう。それに今度の水曜日は河岸が休みだし、俺が行くとなると親爺もいろいろ肴に気を遣うだろうしな」。

「有難うございます。では明日の7時ということで奥の席を予約しておきます」。ほっとした安堵の溜息が聞こえてきそうな雰囲気で電話を切った。

遠野が7時前に「頑鉄」に顔を出すと、すでに井尻は土間側に座っていて、前には水があるだけで食い物はなし。代わりに灰皿の中には“マルボロ”の吸い殻が2本。

「おいおい随分早いなあ」と言いながら壁側に腰を下ろす。「そんなに緊張すんな。クソ暑いんだ。まずはビールでも飲んでリラックスしろ」。

そこへタイミング良く親爺自らが冷やしたグラスとサッポロの黒ラベルを持ってきた。乾杯のしぐさをして喉を潤した後、井尻が口を開いた。

「すみません今日は。電話でもお話しましたが、まさかこんなに早くとは…。会社の中にも動揺が広がって。やはりプライドが許さなかったんですかねぇ」。

新しいタバコに火をつけながら呟く。遠野はショートホープを弄びながら首を振る。「山田は別部なんてのを意識するほど小っこい奴じゃない。かといってこの間の“狡兎死して…”の韓信みたいな野心もない。自分の思い通りの仕事をしたいだけ。別部との絡みもあり、波風立てたくないし、会社を見限ったってこと。今回の人事は“別部が代理店契約を取った”という偶然の成果を活用して統括本部長の甘方が主導したんだろ。あんな奴を信用し、思惑も読めない上層部に愛想が尽きたんだと思うぞ」。

井尻は黙って聞きながらがら酌をする。

「お前らが感じている以上に甘方は悪だぞ。あれほど悪賢く狡知に長けた奴はあんまり知らんな。もちろん山田が辞めてニンマリだろ。今回の人事はそれが狙いなのだからな。仕事ができて人望もあり、ぼつぼつ部長の声もでていた山田が煙たく怖くてしょうがなかった。自分の腹を見透かされているようで“いつ追いつき追い越されるか”ってな」。そこまで言ってタバコに火をつけた。

「今後僕たちはどうすれば…それが皆んなの心配で」と不安気な井尻を制して「まあ聞け。ザックリ言えば実態は違うのに、はたには良く見せる。だから狡猾で悪なんだ。あの孔子が“許せぬ五悪がある”と断じているが、五悪とまではいかないまでも三悪は持ってるな」。

一息ついて、つみれ汁を啜る。「見てろ。別部なんて山田が居なくなれば甘方にとって用無し。役職は同じでも別の部署に飛ばされるさ。そうなれば直接の上司じゃないから口は挟めない。お前らもそれまでの辛抱だ。しかも早晩、お前が課長になるはず。その時は素直に喜んで受けろよ」。

井尻はキツネにつままれた様な顔をする。

「どっちかというと“山田派”と見られてたお前が抜擢されれば周りは“統括は心が広い”って思い、評判も上がるし、出世の好材料にもなる。そこまで考えて権力を握ろうとするところが、甘方の悪の悪たる所以…と思うな」。

井尻は予期せぬ遠野の言葉に戸惑っていたが馬鹿じゃない。ある程度は理解したようで「有難うございます。肝に銘じます」と頭を下げた。

「もっとも外れたら勘弁な」。遠野は苦笑いしながらキスの骨センベイを口に入れた。「ぼつぼつ酒にするか。親爺!今日は洗心あるの?」。

「あいよ」待ってましたとばっかりに冷えたグラス3つと洗心の四合瓶を抱えてきて「ヘヘっ。お邪魔しますよ」と座り込み「とのさんが、そこまで毛嫌いしている奴が居るとはねぇ~。権力の権化みたいな奴なんだ」。

どうやら聞き耳を立てていたようだ。「井尻なら“人を挙ぐるには須らく退を好む者を挙ぐるべし”という名言を知っていると思うが、今のTMC(築地メディカルセンター)はまるで逆だもんな。“奔競(目いっぱい競争する)”の者がいい思いをしてるんだから…」。そこで親爺がハタと膝を打った。

「そういやぁ清水さんも、この間いらした時【奔競はサラブレッドだけで十分】と言ってたけど、そんな意味があったんですね」。


 【編集部よりお知らせ】

ほぼ隔週で連載しております当コラムですが、盟友・清水成駿の訃報に際しまして、筆者である源田氏の「故人を偲ぶ期間を設けたい」という意向を受けました。

つきましては、当連載は一旦休載という形をとり、相応の期間を経てから再開させて頂くこととしました。ご理解のほど、宜しくお願い申し上げます。


【著者プロフィール:源田威一郎】
大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。

斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。

競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。

源田威一郎

GENDA ICHIRO

大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。
斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。
競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。

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