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競馬コラム

心地好い居酒屋

2016年08月30日(火)更新

追悼・清水成駿との会話

こちらからの一方通行ではあるが40年も前から清水の名前と顔は知っていた。

専門紙「1馬」、いや斯界ではすでに有名人だったのだ。だから競馬場の狭い記者席通路ですれ違ったりし、目が合えば目礼する程度だった。

そんな状況での56年秋。光文社が発刊した「週刊宝石」の競馬特集で座談会に互いに出席し、談論、激論を交わしたことがキッカケで二人の仲は急接近した。

清水が遠野を認めたからだ。

遠野が勤務する「TMC」(築地メディアセンター)は昭和50年に設立された会社で、もともとは編集プロダクション。俗に言う“編プロ”。

いろんな会社からの依頼や相談を受け手伝うのが仕事。「TMC」で競馬に最も詳しいのは遠野という絡みもあって、思いもよらぬ参加となった訳だ。

他にも高名な競馬評論家もいて、遠野のプレッシャーは並大抵ではなかった。

それでも最後まで、臆することも卑屈になることもなく自分なりの考えを言えたのは進行役の担当者・橋本氏と清水の絶妙なフォローがあったからだ。

その後は、競馬場で会った時は声を掛けてくれるようになり、たまには酒席への誘いもあった。競馬関係者を紹介してくれたりもした。

おそらく競馬に対する情熱と考え方、そしていろんな価値観に共通するものがあったのだろう。

その年の暮れだったか。「トノよぉ。仲良しこよしの友達ならともかく、人間の信頼関係てのは、いろんな部分での価値観が同じか、少なくとも似てなければ成り立たないんじゃないかなあ」と言い、続けて「俺は座談会の時にトノを見て、喋って『こいつは信頼できそうだ』と思ったね」。望外の言葉をかけてもらった。

その前はこんな遣り取りもあった。遠野はいつも「清水さん」と呼びかけ清水も「トノちゃん」だったのだが「今後は身内同然の親しい奴か二人っきりの時は“さん”なし。呼び捨てでいいじゃん」「いや、そういう訳にはいかんよ」「だって年上の“トノちゃん”から“さん”付けで呼ばれると落ち着かん。嫌な奴だと年上も地位も関係なく腹が立つけどな」…。

しばしの押し問答があったのだが、清水が結論を出した。

「つまんない話だが、当人を目の前にすると“さん”付けでペコペコし、居ないと呼び捨てで自分を大きく見せるバカが一杯いるだろ。いやいやそれが普通の感覚かもな。でもな、多くの奴から聞いたけどトノは俺が不在で誰と話す時でも“清水さん”と言ってるらしいじゃん。それが嬉しくてな。『信頼できる』との直感に間違いがなかったことが嬉しいんだ。単純な性格だろ」。

清水の愛読書の一つに「十八史略」がある。そこにも顔相の観方は書かれているが、清水いわく「目と口の動きを観察すればだいたい、その人間の正体が分かる」。結局は清水の言葉に甘えた。

もう5年にもなる。清水と遠野が信頼していた二人が早世した。

座談会時の担当者・橋本氏と東スポで健筆を揮う要因の一つを作った江原氏である。ともに癌だった。

見舞いの帰りには、どちらからともなく顔を見合わせ、意味もなくふぅ~と溜息をついていたのだが…。予想されていた結末とはいえ見送った後は「辛いよなあ。何でいい奴から逝くんだよ。トノぐらいは俺を置いていくなよ。体を労れよ」。遠野の持病である肺と肝臓を心配して声をかけた。

自分より人のことを気にかける優しい男、頼まれたら断れない親分肌の侠――。

「1馬」を去って15年。現「優馬」の社長や社員に元社員、札幌、小倉に出張中のトラックマン。さらには清水の在籍時を知らない若い社員までもが通夜、葬儀に参列していた。

いかに清水が慕われ畏敬されていたか。惜しい、無念である。遠野はつぶやく。「“さよなら”は言わん。いつも通り“じゃあまたね”」

合掌

清水 成駿  平成28年8月4日逝去  享年68歳     


【著者プロフィール:源田威一郎】
大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。

斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。

競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。

源田威一郎

GENDA ICHIRO

大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。
斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。
競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。

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