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競馬コラム

心地好い居酒屋

2016年10月10日(月)更新

心地好い居酒屋:第7話

最近は3連休前の金曜日でも、いやそんな時ほど「頑鉄」の場合、客足は遠のいた。若いサラリーマン、あるいは共働きの夫婦、小さな子供とマンションのローンを抱えている40~50代…。境遇や環境はそれぞれでも、連休前、連休中にプライベートをこなすために前日を大切にする人間が増えたようだ。

この日は井尻一行もお休み。もちろん、今日の欠席と甘方と別部の一件の後日談については報告を受けている。先日の帰りに感じた〝俺も時代遅れだなあ〟そのものである。

 <白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり>―。

〝ま、たまには親爺と二人で飲むのもいいか〟と思い、引き戸を滑らすと、8時というのに案の定、客は一組だけ。ところがその一組は奥の常連の〝指定席〟にいた。遠野がカウンターに向かいがてら、左を見ると、客は男女二人づつの4人で壁側の奥から「お、来た来た。やっと到着ですか」との呼びかけが。「あらあら!久しぶり?」。さすがの遠野も思わず大きな声を出した。相手はごく親しい友人の一人で20年来の付き合いにもなる森山章利だった。

新橋に事務所がある「わいわい旅行」という旅行会社の出版部門を担当していて、当時は担当編集長で現在は取締役編集局長だ。遠野の現役時代は仕事がらみもあり、最低でも月一回はどこかで酒席を共にしていた仲だけに、残り3人も顔見知りばかり。その連中も笑顔で「ご無沙汰してま~す」と。遠野も笑顔で返し、誰にともなく「ちょっと待っててね」と声をかけ、親爺の手招きに応じカウンターに行き隣に座った。

「皆さんお待ちかねだよ。とのさんが来るかどうかの確認の電話を貰ってね。『7時過ぎには行くけど、内緒にしといて』って釘をさされたから…悪かったかな」。

「いやいや結構結構。連中も俺を驚かせようとしたんだろ。森山さんらしい楽しい趣向じゃん。あの3人もよく知ってる社員だし俺だって年寄り二人で世間話しながら飲むより美女を囲んでの方がよっぽど酒も旨いし」。店に入る前に浮かんだ牧水の歌を板場の隅に追いやり「井尻の話は今度…ということにして、今日は親爺も一緒に飲もう」と言って立ち上がった。

実は遠野が、森山を「頑鉄」に連れてきたのは、少しでも〝食べさせる〟のが目的だった。森山は飲む時はとにかく食べない。瓶ビールと煙草、それもハイライトの煙以外は口に入れなかった。〝これじゃあ体が保たん。何とかして食べさせたい〟と、悩んだ末、「頑鉄」の料理に考えが及んだ。15、6年前だったか「騙された積りで付き合いなよ。親爺が森山さんと同じ鬼平ファンで〝茶懐石〟みたいなお通しが旨いんだから」と説得。遠野の心配の本気度と料理(茶懐石)の少量さが分かったのだろう。渋々ながらも新橋から築地まで一人出向いてきたのが事の始まり。

もちろん、その前に森山の事情は親爺に説明していたから、そこはガッテン承知介で納得の料理が出た。森山は時間をかけながらも食し終えた。それからは遠野抜きでも客を連れて顔を出すようになり、時に鬼平談議に花を咲かせることもあった。そんな談議の中で森山自身が実践を心がけている大好きな科白<恩は着るものであって被せる(着せる)もんじゃねぇよ>には〝同感〟で、二人の距離はいよいよ縮まったらしい。

遠野と親爺が連れ立って小上がりに移動し、「お待たせ」「お邪魔しますよ」と言い、席に付いた。テーブルの上を見ると3人の前には焼酎・一刻者のボトルと日本酒・美丈夫の4合瓶。皆で突っついているであろう、デッカイきんきの煮付と秋刀魚の塩焼きが乗っかっていて、森山の近くには瓶ビールとグラスにハイライトの吸い殻が入った灰皿があるのみ。

「ご無沙汰続きでごめん。世話になりっぱなしで、とのさんの退職祝いもしてないし…」と森山が真面目な顔で言うのを手で遮り「いやいやご無沙汰もお世話もお互いさま。このご時世だもん。森山さんが忙しくて苦労してるのは分かってるから。それより早紀ちゃん、久美ちゃんに飯野君まで揃っているとは…。嬉しいねぇ」。遠野は顔を綻ばす。すかさず女性二人が「わぁ名前覚えてくれてるんだ」とハシャギながら手を叩く。そこへ遠野用のお通しが運ばれてきた。(この日はもずくのお吸いもの。鰹と新じゃがの煮物、若布と胡瓜の酢の物、ゴリのから揚げ)

すると森山の右隣にいた早紀が「局長、お椀とお通し全部食べたんですよ。びっくりですよ。遠野さんお薦めの店とは聞いていましたが、マジ美味しいです」「あ、紹介が遅れたけど、この人が親爺さん」。遠野が自分の前を指さすと「始めまして後藤です。お褒めいただき有難うござます。今後ともよろしく」。えらく殊勝な口ぶりと態度に遠野と森山は早紀の肩越しに顔を見合わせ吹き出しそうになった。それからは昔話や酒に食い物に近況報告やらで話が弾み、遠野にとっても心休まる楽しい一夜になった。

〝さて〟と森山と阿吽の呼吸で腰をあげかけた時、森山の前に座っていた久美が突然「凱旋門賞のマカヒキは残念でしたね。私、テレビの前で応援してたのに」と。競馬に全く興味はなかったはずの久美の口から凱旋門賞やマカヒキの固有名詞が出るとは…。TMCの横山が言っていたの季節感はあながち的外れではないのかも。帰りざま、今度は早紀の声が後から聞こえた。「親方さん!近いうちに女子会お願いしま~す」。先に表に出ていた遠野と森山は苦笑いするしかなかった。


【著者プロフィール:源田威一郎】
大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。

斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。

競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。

  

源田威一郎

GENDA ICHIRO

大学卒業後、専門紙、国会議員秘書を経て夕刊紙に勤務。競馬、麻雀等、ギャンブル面や娯楽部門を担当し、後にそれら担当部門の編集局長を務める。
斬新な取材方法、革新的な紙面造りの陣頭指揮をとり、競馬・娯楽ファン、関係マスコミに多大な影響を与えた。
競馬JAPANの主宰・清水成駿とは35年来の付き合い、馬主、調教師をはじめ懇意にする関係者も数多い。一線を退いた現在も、彼の豊富な人脈、鋭い見識を頼り、アドバイスを求める関係者は後を絶たない。

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