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競馬特集

巨星墜つ。上田琢巳さんを偲ぶ①

2025年01月11日(土)更新

巨星墜つ。上田琢巳さんを偲ぶ

上田琢巳さんを偲ぶメッセージ

安藤勝己(元JRA騎手)

上田琢巳さんとは阪神競馬場のイベントなどで何度かご一緒させてもらった。

オレが現役だった頃のレースもよく分析されていて「そんなに細かいところまでよく見てるな」と感心してたわ。

温かい人柄で気持ちの良い人だったね。

どうぞ、ゆっくりとお休みください。

佐藤直文(競馬専門紙「優馬」代表)

マネージャー(上田琢巳さん)と初めてお会いしたのは、私が一馬(現優馬)に入社した昭和の後期。

当時からすでにラップを取り入れた予想をしていて、その理論をご教授いただいた。当時、前半3ハロン時計は紙面に掲載していなかったのだが、マネージャーの影響で「これは載せるべきだ」という声が社内で高まり、最終的に馬柱にも取り入れるようになった。

ちなみに「マネージャー」というあだ名の由来だが、とにかくオシャレでスーツ姿がいかにも当時の芸能界のマネージャーっぽい雰囲気だったことがひとつ。編集から予想までテキパキとこなす姿が実際にマネージャーらしかったというのもある。

生き物相手でイレギュラーも多い競馬の世界では編集という仕事は本当に大変だ。急な出走取消や乗り替わりがあった時には『えらいこっちゃ!えらいこっちゃ!』とよく騒いでいましたね。

もうひとつマネージャーといえば印象深いのが、自慢のノド。十八番のラテン歌謡『ベサメムーチョ』、こちらも何度聞いたことか……。今でもあの歌声が耳に残っています。

突然の訃報に、無念でなりませんが、今頃はもう清水さんとゆっくり酒を飲みながら、競馬談議に花を咲かせているのでしょう。ご冥福をお祈りいたします。

境和樹(競馬JAPAN編集長)

競馬JAPAN創設当初から、清水成駿先生の盟友としてご尽力いただいた上田先生。その生前の活躍に敬意を表し、謹んで哀悼の意を表します。

上田先生の印象として思い出されるのは、セルフプロデュースの上手な方だということです。自分の持ち味をどうすれば最大限に読者に伝えることができるか。砕けた言い方をすれば、“カッコ良さ”を追求する方でした。写真の撮られ方から予想のオリジナリティーまで、自己表現を突き詰めることが、すなわち、読者を喜ばせることだと教わった気がしています。

競馬JAPAN紙面上でもキレのある予想でヒットを連発してくださいました。その勝負強さは、まさに長きにわたり競馬の世界で戦ってこられた大きな後ろ姿。その背中に、我々後進も大いに奮い立たせてもらいました。

今後も、上田先生とともに戦った者として恥じぬよう、研鑽を積まなければならないと改めて意を強くしています。どうぞ安らかに。合掌。

舘林勲(東京スポーツ)

長い間、本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

2001年に『西の仕掛人VS東の金将』という本を出版させて頂いた間柄。顔を見るなりヌッと近寄ってきて「頑張っとるな。いい予想しとるよ」と声を掛けて頂いたことを決して忘れない。年が離れた後輩の予想をチェックしているという点では、清水成駿さんとの共通項だと勝手に思っていたりもした。

そして、上田さんの凄さはファン層の幅広さ。当時、関西の大学の競馬サークルの若者を集めてオフ会を度々、開いていた。とある厩舎の祝勝会、新年会などに行くと、クラブ法人の方が「僕は○○大学なんですけど、上田さんには本当にお世話になったんです」と同じ文句を何度か聞いた覚えがある。

独自のスタイルで競馬ファンを魅了できるのは予想家にとって最高の幸せだったと思う。上田さんから「最近、手エ抜いとるな」なんて言われることがないようになお一層、気を引き締めて予想をしていく所存です。

ただ、◎選択に迷っていたら天国からアドバイスをひと言お願い致します。そして、成駿さんと思い切り飲んでダジャレでも言い合って下さい。

水上学(競馬評論家)

ひと昔ほど前でしたか、新宿ロフトで開催したトークイベントの楽屋で、初めて上田さんにお目に掛かることができました。

20年以上もの若輩に敬語で接してくださり、しかも握手の手を差し出されて恐縮したことを鮮明に覚えています。清水成駿さんもそうでしたが、とにかく人を分け隔てせず、偉ぶるところもなく、誠実に接してくださったことに尊敬の念を深く抱いたものです。

私がここで繰り返すまでもないですが、上田さんはラップというファクターをレース回顧に留まらず、予想メソッドに持ち込んで体系化したパイオニアでした。また競馬全体を俯瞰なさって、常に時代性を意識されていました。常に知識を上書きして、競馬界の最前線で在ろうとした方だと思います。

人伝てに聞いたのですが、ラップと血統の関係についての構想もお持ちだったそうで、私のような者にも協力を求めようという話をなさっていたとか。なんと身に余る嬉しいことでしたか・・・・。

上田さんはきっと雲の上から、後進を叱咤激励し続けてくださると思います。私たちが怠けないか、清水さんと一緒に常に見守っていてください。よろしくお願い致します。

2017/11/23(祝)@新宿ロフトプラスワン

柴田卓哉(元専門紙一馬)

「君、新人の柴田君?エラい所に来よったな」

上田さん、当時からの通称‘マネージャー’との出会いは当方が一馬(現優馬)に入社した37年前の昔。当時、殺伐とした雰囲気だった編集部で異彩を放っていたのは、上品な関西弁と三つ揃えのスーツ姿。

飄々としていながら仕事は手際良く、企画も立てるといった万能タイプで、一例を挙げれば馬柱に強引に食い込ませた各馬キャリアの中の上がり最速。ページ数が少なく、組版だったその時代の競馬新聞で僅かなスペースにそれを押し込ませる工夫は並大抵ではなかったし、職人らとの交渉など、クリアーすべき課題が多かったことを思えば、よく貫けた改革だったと今更ながら改めて思う。のち、ラップに拘る予想スタイルが既にそこにはあったし、大スポで名を馳せたのもむべなるかな。

生涯現役で最後まで予想に身を捧げた上田さん、いや最後もマネージャーと呼ばせて下さい。どうぞ安らかに。あちらには清水さんがいます。際限なく盃を干していることでしょう。愛する競馬を肴にして。ご冥福をお祈りします。

明石尚典(元大阪スポーツ)

約15年間の大スポ時代は自他ともに認める「上田番」。そんな関係性もあって数え切れないほどの酒席をともにしてきたが、振り返ってみると競馬の話をした記憶はほとんどない。政治、経済から芸能、スポーツ。とにかく話題が豊富だった上田さんのユーモアを交えた軽妙な語り口からは人を引きつけるまばゆいほどの知性が溢れ出していた。

先輩記者から聞いていた昭和気質の武勇伝の持ち主とは思えないほど温厚な性格。どれだけ酔っていても周りへの気遣いを忘れない、まさに紳士という表現がぴったりの方だった。

そんな上田さんに一度だけ真顔で怒られたことがある。「バカみたいな印を打つんじゃないよ」。注目を集めるための高配当狙いで穴党を気取っていた弟子の浮ついた心を見透かしたかのような強い口調。「いいか、あらゆるデータの集積がオッズという形で表れている。だからデータを使って予想をする人間がオッズから大きく外れるような◎を打っちゃダメなんだ」。根拠はラップでも血統でもコメントでも何でもいい。ただ、説明のつかない◎だけは打つな。

ラップ理論の創始者と言われながらも、数字にとらわれない柔軟な思考。これこそが上田さんの競馬予想の神髄だと思っている。

今川秀樹(競馬JAPAN)

競馬予想にアカデミックな風を吹かせた上田先生。今では当たり前となったラップ理論を、高みに引き上げた功績は計り知れません。

私が本格的に予想家として活動を始めてから、縁あって交流を深める機会を頂戴し、多くの知識や考え方を学ぶ機会をいただきました。上田さんのご著書『ラップ馬券学』では対談相手として指名していただき、叱咤激励していただいたことは大切な思い出です。

競走馬のレベルが上がり、馬場造園の技術も発展した今、昔とは数字の価値は変容しています。しかし、その根底に流れる考え方に変わりはありません。それこそが、上田さんが確立したラップ理論、数字そのものではなく、数字の意味を深く考えるということです。

上田先生が築いた礎を、我々後を継ぐ者がさらに確かなものにしていきます。どうか見守っていてください。

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読者の皆さまからの追悼メッセージ

ラップ理論の第一人者・上田琢巳さんが死去 83歳 「西の仕掛人」「机上に勝算あり」で数々の大レースを的中(Yahoo!ニュース)

皆様からの追悼メッセージを募集します。

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