心地好い居酒屋
「ほれ、いつだったっけ。親爺が『社台Gの社台Gによる社台Gのための2歳戦』とか言って嘆いていたのは」
「あれは5頭立ての新馬戦で、出走馬すべてが社台Gの生産馬だった時。とのさんが『2歳戦は金持ちだけが通う私立の幼稚園が、税金を使って賞品を出す運動会を開くようなもん』と溜息つきながら飲んでたから、3年ほど前じゃねぇか。そうそう、酸素チューブも付けてなかったし」
車の中もそうだが、比較的暖かいとあって「今日で最後だな」と、親爺が残しておいた銘酒「得月」を酌み交わす。
真っ暗ではあるが、5時前とあって客は居ない。
肴はとりあえずの漬け物と蒲鉾に、牛のしぐれ煮だ。
「ジャパンC」の翌日、電話があり、翌火曜日。例によって“冬場限定”で爺さまの車を借用している横山が、横浜まで迎えに来てくれたのだ。
当然、梶谷も来る。顔を出さない訳にはいくまい。
その横山は遠野を「頑鉄」に届けると、自分の車を置きに月島の自宅マンション(もちろん賃貸)に一旦帰っている。
「車の中で話したんだが、昨日も3連単バッチリだって? 結構結構。んなもん俺には取れっこないが、珍しく単勝も買ってたんだってな。大したもんだ」
我が事のように遠野が喜ぶ。
どうせ誰かが配当を手にするなら、親しい友人に渡った方がいい。いや、大して親しくなくても、嫌な奴以外なら普通の知り合いでも喜ばしい。これが遠野の持論。
「いやな。横ちゃん曰く『フランスのカランダガンは本気で勝ちに来ると思います。成績は見ての通りですし、詳しい内容はともかく「ジャパンC」を勝てば本賞金+300万米ドル、つまり5億円に加え、4億5,000万円の報奨金を貰える有資格馬。おまけにベテラン調教師が管理する4歳の騸馬。「凱旋門賞」の出走資格はなく、種牡馬としても稼げない訳ですからね。EU経済だって下降気味だし』って強調するんでな」
「まぁな。終わった後なら何とでも言えるが、新聞にも載ってたし立派なもんだ。尤も、記事には『凱旋門賞』については触れてなかったが……」
「アハッ。書いたのに削られたんだって。憤慨してたよ」
二人だけでも会話は弾む。
「ぼつぼつ(刺身)切るか」
親爺が気を利かせた時、ドアが開いた。
到着か、と思いきや入って来たのはまず梶谷。横山は従っている。
「あらあら。同伴とはねぇ。刈田に見られたら一生恨まれるぞ」
遠野が冷やかすと、
「と、とんでもない。そ、そんな事。偶然です偶然」
慌てて否定する横山。
皆で大笑いした後、
「遠野さんも“カッペイ”とのことで、つまんない冗談言わないで」とピシャリ。
「あ、ゴメン」と遠野。
“カッペイ”は梶谷にゾッコン。井尻の部下で同僚の刈田陽平の略称。
親爺、遠野、井尻、梶谷に、美人秘書・阿部京子しか知らない。
兵庫と鳥取の中間にある田舎町出身でもあり、“刈・平”=イナカッペイらしい。名付け親はもちろん親爺だ。
4人のグラスに酒が注がれ、刺身も届いたところで「乾杯」と相成った。
「遠野さん! 早くから始めているようですが、大丈夫ですか?」
先ほどの険しい顔つきとは裏腹に、優しい声で酸素の残量を心配してくれている。
「今日はおまさちゃんと一緒だし、万全を期して封切りを装着してきたよ。それにご存じのように横山君が迎えに来てくれたおかげで、有酸素運動も少なくて済んでるから」
とはいえ前回はタクシーで来たのだが、それを知っているのは、たまたま横浜ナンバーのタクシーを見た親爺だけ。
「横山君も偉い偉い。遠野さんを労るなんて、競馬の予想だけじゃなく役に立ってるわぁ」
梶谷にかかれば横山なんて子供扱い。それでも嫌みじゃないのは、人徳か、頭脳明晰な愛嬌の良さか。
「そう。昨日の『ジャパンC』は予想も外国産馬も見事だった。あの社台G、特にノーザンFの8頭すべてを馬券圏外に沈めたんだから。<この世をば 我が世とぞ思ふ望月の欠けたることも無しと思へば>。ノーザン一強からの脱却のキッカケになれば万々歳だがなぁ」
と親爺。
最近はノーザン馬券で儲かっているが、ノーザンが消えての大当たりとあって機嫌がいい。
「そう簡単にはいかんだろ。愛馬精神なんて夢の夢。そういやあ競馬と馬を愛した吉川英治の最後の持ち馬は“ユメドノ”だったとか。ま、吉川英治の話は置いといて、今や金が命の競馬界。良血の高馬が幼少から良質で栄養豊富な餌を食い、最新式のトレーニング施設で育成されれば自ずと強くもなるさ。そうだなぁ~」
と考えつつ寒鰤をパクリ。
周りもつられて刺身に箸を伸ばす。
「うん。例えば先月結婚した京子ちゃんの夫君は東大法卒だろ。そんな間に生まれた子供に0歳から特別な入試教育を施したらどうなる!。ベビーシッターに家庭教師。高額で少数精鋭の塾にも通わせたらどこの大学だって受かるさ。今の社台G・ノーザンはそんな環境が整っているんだ」。
遠野が言うと
「阿部先輩はそんな教育はしませんっ。理屈は分かりますが納得はできません」。
またまた梶谷からお叱りを受けた。
再び「ゴメン」
「美味しいお酒に免じて許してあげます。だってこの『得月』と遠野さんに知り合って丁度10年ですもの。良かった。これからもよろしく」
とニッコリ。
「俺は37年だ。とのさんには色々教わったよ。知識や経験からくる“読み”も鋭くて的を射てるしな」。
何故か親爺が褒めそやす。
遠野が
「気持ち悪いなぁ。銀座に連れて行く元気もゲンキンもねぇぞ」。
「そうだ!あの公明党離脱は高市と吉村維そ新のデキレースと言っていたが、最近の動向を見るとまさに図星。国会議員でもねぇのに与党会議に顔を出してなんちゃらこんちゃらと。で、身を切る改革が定数削減だとか。偉そうに。企業団体献金禁止か受け皿を狭めるのが改革の本丸だったはずなのに……。身を切る改革なら歳費だけにして税金のかからない助成金や文通・交通費の廃止が先だろってんだ」。
今日の親爺はえらく威勢がいい。
「流行語大賞が<働いて働いて……。>に続いて<ミャクミャク>ですか。高市と吉村コンビをマスコミも目立たせますからねぇ。横山君もそう思うでしょ」。
梶谷が声をかけると
「え、僕ですか。確かに親方さんや梶谷さんの仰る通りですが、遠野さんの吉川英治の話題が気になって。“置いとかない”で続きを教えて下さい」
「吉川英治に興味があるならエンメイは知ってるよね」
「はい。ダービーで骨折落馬。即薬殺されたとか。それが原因で競馬を止めたんですよね」
「詳しいじゃん」
「でも……。続きがありそうで」
「なるほど。じゃあ『有馬記念』の週に来られたら来るよ。その時に」


